家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

振り返り① 「母の病気発覚」

皆様こんにちは。もち丸です。

 

最近は寒暖差が大きくて体にこたえますね。私は暑いのは割と平気なのですが、寒さと温度差には弱く、最近は眠かったりお腹を壊したりと、体調は今一つのような気がします。

6月のこれから暑くなるという時期が懐かしいですね…

 

さて今日は母のがんが分かった時、今から3年程の前の話を書いていきます。

前後の記憶は少し曖昧な部分がありますが、病気を告知された時のことは今でもハッキリと覚えています。

少ししんどい振り返りでもありますが、まとめていきますので、どうぞご覧ください。

 

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1、母に起こった最初の異変

母の病気が発覚した2018年8月、私は昨年末に前職を辞め、就職活動真っ最中でした。

その2か月程前から、母に認知症のような症状が出始めたのです。

具体的には「火を消し忘れる」、「感情の起伏が乏しくなる」、「冷蔵庫の食材の期限がわからなくなる」等です。他にも「食事の際、橋を持った右手が上下に揺れるように動く」、「普段丁寧な料理を作る母が、質素な料理しかしない」等の症状もありました。

他にはうつ病のような趣味への興味喪失もあり、家族から見ても明らかに普通ではないとわかる状態になっていました。

 

当時私は「火だけは本当に気を付けて!!」と強い口調で度々母に注意してしまったので、「悪いことを言ってしまったなぁ」という罪悪感が今でもあります。

 

当時母は70歳、もしかしたら認知症になってしまったのかもしれないとショックを受け、私達家族は一度かかりつけ医に診てもらおうと、何とか母を病院に連れて行こうとしました。

ところが母は元々病院嫌いなことに加え、当時「自分でも自分の状況を理解出来ていない状態」のようで、なかなか病院に行ってくれません。

そして私も父も北風と太陽で言えば北風。言えば言うほど母は頑なになってしまうと思った為、姉に今度の土曜日に診察に付き添ってもらうことにしました。

 

ところが受診予定日の前日、母は一人で歩いて病院に行ってしまったのです。

私はその日就職活動で外出の予定があった為、その後のことを父に任せ出掛けました。

 

 

2、父からの連絡

当時自分の予定をこなしていた私の携帯に、父から電話が入りました。

嫌な予感がして電話に出るのが怖かったのですが、電話に出たところ内容は予想外のことで、父から信じられない言葉を聞きました。

「脳腫瘍が酷く、来年までもたないかもしれない」

 

私はその時胸がぐっと苦しくなり、理解しきれませんでした。

認知症じゃないの?脳腫瘍?年内?」

 

どうやらかかりつけ医で簡易的な認知機能検査を受けたところ、すぐに大病院の脳神経外科を紹介されたらしいのです。

そしてMRIを撮り、脳腫瘍が発覚したとのことでした。

 

電話を切った私は急いでその病院まで行くことになりました。心臓はバクバクです。

電車に飛び乗り、最寄り駅からはタクシーを呼び、もうとにかく病院に行かなければという思いだけでした。

その後姉も職場から駆け付け、母を除く3人で先生から話を聞きました。

 

「脳腫瘍の数がとても多く、うちではもうどうしようもない。恐らく原発巣は肺でしょうね」と言われました。

もう信じられません。認知症ではなくがん。しかも転移?手術出来ない?治療も出来ない?

意味わかんねー。わけがわからん。

家族3人が絶望を感じたと思います。

 

 

3、転院の決断

ただ私達家族は当然そんなこと受け入れることは出来ません。かといってどうしたらいいかもわかりません。担当した医師にも配慮が欠ける印象があった為、他の病院に相談しようということになりました。

 

また別の記事でも書くと思いますが、今思えばここが一つ目のターニングポイントだったと思います。

 

まず一つ目、脳腫瘍に関して。

脳腫瘍に関しては姉が「ガンマナイフ治療」という、脳腫瘍に強い放射線治療をやっている病院のことが頭の隅にあったらしく、まずはその病院にその場で電話することにしました。

すると即座に初診日時の調整をしてくれ、診察日を待つことになりました。

 

そして二つ目、頭部以外について。

これは昔父ががんの疑いで、がん専門病院にかかったことがあった為、その病院に相談することにしました。こちらは初診日時まで少し日数がかかることになりました。

 

母は私達の顔を見ても状況が分からないようで、私達家族4人はこれからどうなるのかわからないまま、不安と共にその日は家に帰ることになりました。

目の前にいる母ががんなんて…本当にきつかったです。

 

 

4、最後に

今回の記事では母の病気が見つかった前後の時期をまとめてみました。

今後母は病気に関して「頭部」と「頭部以外の体全体」の二つとして、二か所の病院で診察を受けることになります。

今思うとこの判断がその時出来る範囲での、ベターな選択だったように思います

 

今回の記事でそれぞれの病院の初診について書いてしまおうかとも思いましたが、長文になりそうなので、ここで一旦記事を区切ろうと思います。

次回は「頭部」に関する初診とその後の流れについての記事にする予定です。

 

それにしても今思い返してもやはり心臓に悪い、結構苦しい記憶です。

なかなかキツイ振り返りでもありますが、まずはいったん振り返りを書ききってしまいたいと思います。

それではまたの機会に!