皆様こんにちは。もち丸です。
最近私は季節の変わり目ということで、少々体調を崩し気味です。
個人的にコロナ禍の影響で生活リズムが崩れる危機感は強く持っており、運動、睡眠、栄養等のバランスに気を付けてはいるのですが、この気温差はキツイです。
皆様も色々と落ち着かない時期かもしれませんが、なんとか心身のバランスをとっていきたいですね。
さて前回の記事では、母の脳腫瘍の初期治療を振り返りました。今日は肺がん、つまり原発巣がわかるまでの一連の流れと、治療に入るまでの様子を振り返ります。
恐らく複数回の記事になると思いますが、引き続きマイペースで更新していきたいと思います。
1、がん病院の初診
前回の記事では、脳腫瘍に対するガンマナイフ治療を終えたところまで書きました。
私達はその時点で、がん全体を診てもらう病院(以下がん病院)に初診予約を入れている状態でした。
かかりつけ医から紹介された病院(脳神経外科)でがん病院に電話予約をした際、呼吸器内科の予約を入れてもらったのです。
そしてがん病院の初診日はガンマナイフ治療を終えてから約2週間後だったと思います。その間母の調子は日に日に良くなっていき、がん病院初診日には、以前の母とほとんど変わらない状態まで回復していました。
そしていよいよ初診日となったわけですが、初診日にはあまり進展はなく、主治医との初面談と、精密検査の検査日予約を入れて終わりだったと思います。
希望を持てたという心境では全くありませんでしたが、ここから母と家族の本格的な治療生活が始まることとなります。
2、様々な検査
そして母の病気の正確な状態を特定する為に、いくつもの検査を行いました。
覚えているだけでも「生検」、「PET検査」、「全身CT」、「遺伝子検査」等々、多くの検査を行いました。簡単に言ってしまえば「体のどこにがんがあるか」、「どんな種類のがんなのか」、「どの治療法が良さそうか」を特定する為の検査ですね。
それらの検査の中で私がショックを受けたのは、肺部分の腫瘍の生検です。生検は肺から直接がん細胞を採取する為、機器を挿入する前に全身麻酔をします。
その採取検査が終わった後、ストレッチャーに寝た状態で母が出てきたのですが、検査とは頭ではわかってはいたものの、ピクリとも動かない母を見るのはとても心臓に悪いものでした。
その後麻酔が切れて母が意識を取り戻した時は、物凄くホッとしたのを今でも覚えています。
3、検査結果告知
そしてとうとう検査結果が告知される日が来ました。もう怖くて不安でたまりません。
そして先生から検査結果の告知。
結論から言うと肺せんがんのステージ4。膵臓、リンパ節、腰椎に転移があり、手術は出来ないという事でした。さらには治療計画書には信じられない文字が。
「完治は期待出来ない」
「は?完治は無理?」。その文字を見た時悲しみと怒りが出てきました。
「マジでふざけんな!しかもそんなこと紙に書くなよ!」
例え事実がどうであろうと、もう少しこちらの心境に配慮して欲しいと思いました。それは嘘をついて欲しいということとは少し違います。
その言葉を聞いただけで患者やその家族がどれだけ傷付き、打ち砕かれるか…
心は体と結びついています。例え状況が難しいのだとしても、これから治療に入る私達の心をくじかないで欲しいと思います。
とは言え私達に選択肢はありません。現時点でセカンドオピニオンを受けることも考えませんでしたし、まずは提示された治療を受けてみようと決めました。
でも私は「完治は期待出来ない」という状況をすんなり受け入れることは出来ません。確かに医師は知識・臨床経験は豊富でしょうし、私達医療の素人は反論出来ません。
しかし人の体がどうなるかは誰にもわかりません。私は現在の状況は厳しいということは理解しつつも、奇跡を信じます。
「このまま終わりなんて誰が受け入れられるか」です。
4、これからの治療について
そして母がこれから臨む治療は抗がん剤治療です。
母に提示された第一次治療は分子標的薬「タグリッソ」でした。一口に抗がん剤と言っても、その薬効・メカニズムは抗がん剤によって様々です。
通常の抗がん剤は全身をくまなく叩く為、上手くはまれば大きな効果が期待出来ますが、健康な細胞まで攻撃してしまいます。そのダメージが様々な副作用となって現れるわけです。
それに対してこの分子標的薬はがんに関わる特定の細胞のみを標的にする為、従来の抗がん剤と比べると比較的副作用が少ないと言われています。(もちろん個人差がありますが)
またこのタグリッソは飲み薬である為、入院せずに自宅で過ごすことが出来ます。もちろん気を付けなければならない点もありますが、母は入院せずに自宅で過ごせることを喜んでいるようでした。
そして抗がん剤以外にもカルシウム剤、ランマーク注射、副作用軽減の為の各種薬を備え、いよいよ母の治療が始まります。
5、私の心境
この一連の流れを経験した私の心境ですが、とても一言で言えるものではありません。
まず一番辛いと感じたのは、治療目的が完治ではないという事です。仮に完治を目指せるのであれば、「完治の為になんとか乗り切ろう」と思えるのですが、それが出来ない以上、治療を続けるモチベーションが心配でした。
私は母の心境を完全に理解してあげることは出来ません。私自身長きにわたり神経症や自律神経失調症に苦しんだ時期があり、その辛さを家族に100%理解してもらうことは出来ませんでした。もちろん簡単に「わかるよ」と言って欲しくもありませんでした。
そのような経験から、軽々しく人の痛みをわかったような言葉を使うことは出来ません。やはり病気の本当の苦しさは、経験した人でないと分からないと思います。
もちろん母を心配する気持ちは100%間違いありませんが、結局は母の苦しみや胸の内を理解することは出来ない。どこまで踏み込んでいいのかわからず、とてももどかしいです。
それでも私は希望を持ちたいし、母にも希望を持って欲しい。でも母には無責任な励まし等出来ない。そう思い泣きたい気持ちでした。
母もこの苦しい治療を終えた先に完治が待っていると思うことが出来れば、治療に対しても少しは踏ん張れるかもしれない。でもそれがない。本当に残酷な言葉をかけられた気分です。
母にも「この治療をすれば半年は寿命が延びるかもしれない。そして半年あれば医学は進歩するよ」と言った言葉をかけるのがギリギリです。
私自身が、何か母が長生きしたいと思うようなものを提示出来ればいいのですが、今は何もない。焦るばかりです。
でも私と同じように家族が病気になった人には通じると思うのですが、例え医者から「完治は難しい」等の言葉を聞いたとしても、素直に覚悟しきることが出来る人はいないと思うのです。
「やっぱり厳しいのかな」という覚悟しないといけないような気持ちと、「奇跡は起きる」という希望の間を行ったり来たりするのではないでしょうか。
少なくとも私には覚悟しきることは出来ません。
私は頭の片隅に「良くない未来の可能性」を置きつつ、奇跡を信じます。
私は母ともっと一緒にいたい、母にもっと自分がしっかりとした姿を見せたい、母に親孝行をしたいと思います。
終わって欲しくない、諦めることなんて出来ない。でも怖い、苦しい。
これが私の率直な想いです。
6、最後に
今回はがん病院での初診と、治療方針決定までをまとめてみました。
正直色々思い出すのはキツイですが、今の心境を吐露する場所作りの為にも纏め切ろうと思います。いやぁなかなかしんどい。
それにしても私は母ががんになるなんて、全く思いもしませんでした。どちらかというと重度の喘息持ちの父の方を心配していたので、防御していた全面ではなく、ノーガードの後ろからクリティカルヒットをくらったという印象です。母が大病を患うなんて全く予想していませんでしたから。
それにしても良くも悪くも母が病気になってから、とても濃い時間を過ごしていると思います。正直距離が近すぎる上にコロナの影響もあって、ストレスがたまる日々でもありますが。
正直精神状態は結構ギリギリです。それでも日々母と笑いあったり、口喧嘩したり出来ることには幸せを感じます。もっと早くこのありがたみに気付いていれば、今の自分とは少し違った形になっていたかもしれないと思うと、悔しさや後悔の念も大きくあります。
とにかく今はコロナの収束を祈りつつ、今出来ることを一つずつやっていこうと思います。