こんにちは、もち丸です。
いきなりですが最近ちょっと疲れています。先週は母の通院に付き添い、今週は脳腫瘍治療後の定期検査です。
それと今転職活動が上手くいかず、精神的にキツイですね~。仮に決まっても「母の通院に付き添えなくなるなぁ」とか「ブランクあるし大丈夫かなぁ」等、不安は尽きません。
今は「千里の道も一歩から」を胸に、一日一日出来ることを積み上げます。
さて今回は抗がん剤「タグリッソ」についてまとめました。
母にとっては初めての抗がん剤治療ですが、家族にとっても「抗がん剤」治療というものには怖さがあります。テレビ等による何となくのイメージがありますし、インパクトが強い言葉ですからね。
それでは本編をご覧くださいませ。
1、初めての抗がん剤
このタグリッソは毎日服用するタイプの飲み薬です。ただ治療開始直後、いきなり問題が発生してしまいました。服用し始めてから2、3日後、母に蕁麻疹が出てしまったのです。
母や私達にとって初めての抗がん剤治療。事前に予想される副作用の説明はされましたが、念の為先生に相談することにしました。
そして先生によると「恐らくは薬疹でしょうね」とのこと。結果一週間ほど休薬することになりました。
私達は治療がストップする事に不安を感じ、先生に「この休薬期間中にがんが悪化しませんか?」と聞きました。
すると先生は「治療の目的は完治じゃないんです。(もち丸母)さんが元気に長生きする時間を長くすることなんです。そこは間違えないでください。ここで無理して具合が悪くなったら本末転倒ですよ」と言いました。
それを聞いて「あー、やっぱり完治は難しいんだ。俺達に期待はするなってことなのか」と落ち込みました。
私達だってそれが正論かもしれないことは理解しているんです。でも伝え方に配慮して欲しいんです。
確かに状況によっては正論・論理によって物事を説明し、相手に納得してもらわなければならない事は多々あります。でも私達人間は、結局どこまでいっても感情の生き物です。
そして私達はがんという病気になった時点で不安や恐怖を抱え、言葉に敏感になっています。
その為私は「正論よりも気持ちに沿った言葉を使って欲しい」と、切に願います。
先生だって身内が病気になったとしたら、かける言葉は少し違ってくるのではないでしょうか。
さて蕁麻疹の話に戻りますが、一週間程休薬すると蕁麻疹は治まりました。やはり薬疹だったようです。でもここで治療を終わりたくはありません。一週間後の診察にて、タグリッソ服用が再開出来ることになりました。
2、治療の効果
結論から言いますとこのタグリッソ、かなり効いてくれました。
ちなみにがんについては治療薬を決定する際、予めいくつか薬の候補を決めるそうです。一番最初に使う薬(一次治療)、二番目に使う薬(二次治療)…といった具合に。
そして母の場合、一次治療としてタグリッソ治療の効果があったのです。
原発巣の肺の腫瘍は半分以下の大きさになり。その他の部分もかなり縮小したということで、完全に安心することは出来ずとも、明るい結果に私達家族は喜びました。
「このまま全部無くなってくれないかな」、「完治して欲しい」と心から思いました。
3、母に出た副作用
治療効果が出たとは言え、薬効には表と裏、つまり全ての薬には副作用があります。このタグリッソは分子標的薬の一つで、比較的副作用が少ないと言われていましたが、母にとっては辛い副作用のようでした。初めての抗がん剤治療なので、他の抗がん剤の副作用とは比較出来ませんが。
そしてこのタグリッソという薬は、毎日飲むタイプです。点滴タイプの抗がん剤は投与後約1、2週間は副作用が酷く、その後徐々に落ち着いていくというイメージですが、タグリッソは毎日飲む為、休薬期間がありません。
効果がある限り、そして体調的に問題ない限り飲み続ける為、副作用から解放される時期が無いというのが辛いところです。
出現した具体的な副作用は以下の通りです。
・足の爪の化膿
・下痢
・足がつる
・味覚障害
一般的に抗がん剤副作用として知られる「脱毛」や「吐き気」はありませんでした。
それぞれまとめてみます。
①足の爪の化膿
この副作用は母にとってかなりきつかったようです。化膿した部分が靴に当たり、痛くて普通に歩くことすらきつかったそうです。
主治医に相談したものの、化膿止めが出るのみ。あまり改善されなかった為、同病院の皮膚科を紹介してもらいました。
皮膚科の先生は化膿部分を丁寧に処置してくれ、飲み薬、塗り薬、包帯等でケアする方法を教えてくれました。それからは幾分楽になったようです。
また靴に関してもなるべく痛みが少ない靴探し(幅広等)もしてみました。全くストレスなく履ける靴は無かったのですが、少しは楽に履ける靴を見つけられたのは良かったです。
②下痢
これに関しては説明不要だと思います。これに対処する為に胃腸薬、下痢止め等が処方されました。ただそれらの薬を服用していても下痢は続いていたので、外出等にも億劫になっていました。
ただヨーグルトやヤクルトを続けていると、少し調子が良いかもと言っていました。
③足がつる
これも母は結構辛そうでした。対処としては水分(出来ればスポーツドリンク)をしっかりと取るように言われ、つったときの頓服として漢方薬「芍薬甘草湯」が処方されました。
漢方は即効性があるというより、徐々に体質改善をするというイメージがあるかもしれませんが、この芍薬甘草湯は即効性があり、私自身スポーツをしていて足がつった時は、この漢方を飲むと比較的すぐ治まってくれます。
とは言え母に関しては飲んでも効かない時もあり、特に就寝時に足がつって目が覚めることが度々あったようです。
ちなみに医師から勧められていたスポーツドリンクですが、母は昔からスポーツドリンクが苦手で、何度勧めても飲んでくれませんでしたね。(泣)
④味覚障害
食欲低下はあまり無かったものの、何を食べても今一つ味が感じられないと言っていました。また食感に関しても何を食べてもパサパサするとのことでした。
加えて口内炎もあちこちに出来、食事自体に加え調理の際の味見にも苦労していたようです。私も料理を手伝う中で味見をよく任されましたが、以前なら「びしっ」と決まっていた味付けが、なかなか決まらずもどかしいようでした。
4、脳腫瘍再発
順調に見えた治療ですが、タグリッソ治療中に一度脳腫瘍の再発がありました。ガンマナイフ治療を行った病院での定期健診(3ケ月に一度)でわかったのです。
ただ今回は以前脳腫瘍になった時のような、外から見て明らかにおかしいとわかるような症状はありませんでした。
ただ「頭痛がする」、「なんかおかしい」というようなことを言っていました。
脳神経外科の先生曰く、「抗がん剤治療しているにも関わらず転移するってことは、肺がんの勢いが強いんだね」とのことでした。
これは結構ショックでしたね。タグリッソ治療が順調のようでも、やはり「完治していない以上転移の可能性は常にある」ことを思い知らされた感じでしたから。
「もしかしたらこのままがんが治るんじゃないか」と期待していた部分があったので、本当にショックでした。
とはいえ前回脳腫瘍が出来た部分の再発は無く、大きさもガンマナイフで対応出来る大きさだった為、即座に入院・治療日を決めることが出来ました。
今回のガンマナイフ治療に関しては軽くの記載に留めますが、結論から言うと治療は成功し、後遺症もなく無事終えることが出来ました。(過程は前回とほぼ同じです)
ですが「また再発するんじゃないか」、「放射線が当てられない状況になるのではないか」という考えは常にあり、心から落ち着く日はなかなか来ないなと思いました。
5、タグリッソの効果が落ちてきた...
順調に効果が続いていたタグリッソですが、その効果が落ちてきていると主治医から言われました。
抗がん剤はいずれ薬に対する耐性が出来てしまい、効果が落ちてくる可能性が高いということは頭では分かっていました。その期間は個人差が本当に大きいそうですが、母は約8カ月で落ちてきてしまったのです。
それを聞いて私達は本当にショックでした。
一番最初母にがんがあるということがわかって、しかもそれがステージ4という時点で私達は打ちのめされています。それからは何とか希望を集めて日々過ごそうとしている中、その集めた希望の欠片が砕かれた思いでした。
抗がん剤治療を行う人と家族が願うのは、「なるべく副作用が軽くあって欲しい」、そして「長い期間薬が効いて欲しい」という事だと思います。
私達家族も例外なくそう願っていましたが、薬の効果が一年持たなかったというのはかなりショックです。こういうのって残酷ですね。
そうすると次は別の抗がん剤治療、つまり二次治療に移ることになります。
私達も不安はありましたが家族で話し合い、この病院で二次治療を受ける決断をしました。
6、最後に
少し長くなりましたが今回の記事はここで終わりになります。次回は二次治療の抗がん剤治療についてまとめるつもりです。
先に言ってしまえば二次治療で使う抗がん剤は、「アリムタ」と「カルボプラチン」という点滴タイプの抗がん剤です。
それにしても正直な話、看護というかサポートする家族もかなり疲れますし、しんどいですよね。(あ~、言っちゃった)
治療を受ける母は間違いなく大変です。その心境や心身の痛みは当事者にしかわからず、変わってあげることも、100%の理解も出来ません。
でも私も疲れます。キツイです。
私は当時(今もですが)就職活動中でした。そして以前自身が体調を崩したことでブランクや短い職歴があり、色々と苦戦していました。
その為例え母の病気がなくとも、自分のことだけでも精一杯だったと思います。
今は母と一緒にいられる幸せを以前よりも強く感じますが、同時にそれを失ってしまうかもしれないという恐怖が常にあり、心から落ち着く日は一日もありません。
正直かなりキツイ、マジでキツイ。本当に人生は公平ではないなと感じます。
人生は比較出来るものではない。それぞれが人からは見えない苦労を抱えていることは頭では分かっている。でも家族ががんになって、しかもステージ4って結構きついです。
泣きたい、泣いてもキツイ、「完治するかもしれない」という希望が欲しいです。
最近は散歩やランニングの途中で神社を見つけると、そこでお参りして母のことをいつも祈ります。
どうか母の病気が治り、心身に健康と平穏が訪れますように。