家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

母が肺炎になってしまった!

こんにちは、もち丸です。

 

前回の記事では「アリムタ」+「カルボプラチン」の治療が終わり、次の治療を決めるというところまで書きました。ちなみにそれは今年2021年の2月頃の話です。

そしてその際二つの治療選択肢が提示されたところまで話しました。

今回はその続きの話になります。

 

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1、簡単に決められるわけがない

さて私達に提示された治療選択肢は二つです。まず一つは予め想定されていた別の抗がん剤を使うこと。そしてもう一つは新抗がん剤治験を受けることです。

この時主治医から一通り説明はありましたが、「どちらにするかはあなた達の自由ですよ」と言われました。

私達が「どちらが今の母にいいと思いますか?」と聞いても、「どっちでもいいですよ」とのこと。

 

でもこんなん言われても普通すぐに決められないですよね。だっていくら知識を調べても私達は素人ですし、治療の結果がどうなるかは医者以上にわからない訳です。

医者に対して「責任をとってくれ」、「全部決めてくれ」とは言いません。それでもそれぞれの治療のメリット、デメリットを説明したうえで、「一緒に考えましょう」という姿勢をとって欲しかったです。

 

私達は不安なんです。怖いんです。一緒に話をして結論を出したいです。

ただでさえ苦しいのに突き放されたような態度を感じると、たまらなく辛いです。

先生にとっては大勢の患者の内の一人にすぎないかもしれません。でも私達にとっての母はかけがえのない代わりの利かない存在なんです。

 

ただ意外にも母は「治験に参加する」とその場で発言しました。

「考えてもわからないから新しいのがやりたい」とのことでした。

私は「ちょっと待ってくれ!」と慌てましたが(笑)、確かに通常の抗がん剤治療は後になってからでも出来ますが、治験はタイミングを逃すと受けたくても受けられない可能性があります。

その為私達は母の気持ちを尊重し、その場で治験参加を決めました。

 

 

2、治験参加に向けて

さて治験参加を決めた私達は、その日のうちに治験コーディネーターと面会しました。

治験コーディネーターとは治験の説明、進行、製薬会社との日程調整等、治験に関する進行・調整役のような存在です。

担当コーディネーターは私の質問攻めにも丁寧に対応してくれ、とても好印象でした。

そして治験に入る前には体全身の検査が必要だという事を知りました。

 

治験とは患者サイドにとっては新しい可能性ですが、製薬会社にとっては薬の実用化、製品化に欠かせないプロセスです。つまり検査によって治験参加者の健康を守るのと同時に、企業はより詳細なデータを得る必要があるということですね。

そして治験に関する詳しい説明とスケジュールを確認し、私達は期待と不安を胸に帰りました。どうか上手くいってくれますようにと祈りました。

 

 

3、治験参加のはずが…

さて治験開始日が近づき、数々の事前検査を受けていた時のことです。主治医からの言葉に私達は大きなショックを受けました。

「肺炎になっています。治験への参加が出来なくなりそうです」と。

恐らくは薬剤による間質性肺炎だろうということで、幸い程度は軽いとのことですが、そのせいで治験に参加出来なくなってしまったのです。

 

通常の治療であれば肺炎が治れば再開出来ますが、治験参加の為にはいくつもの条件があり、肺炎を発症した母はその条件を満たすことが出来なくなってしまったのです。

「マジかよ、このタイミングでかよ」と泣きそうになりました。せっかく抗がん剤の効果が落ちたショックから前向きになれてきたところなのに…

病気治療に対して「何とか前向きになる→打ち崩される」を繰り返していると、心身共に疲れてきます。当事者である母はもちろん、家族も打ちのめされます。

 

ただ元々肺にダメージがある母にとって、肺炎は命取りになりかねません。その為私達に選択の余地はなく、当面は肺炎治療を最優先とすることになってしまいました。

 

 

4、肺炎治療

治療に関してまずは抗生物質を服用することになりました。ところが抗生物質を2週間ほど服用しても、あまり良くなりません。

そこでその次にプレドニンという副腎皮質ホルモン製剤、いわゆるステロイドを使う事になりました。この薬は効果が高いものの、急に止めることは出来ない薬です。その為少しずつ量を減らす必要がある為、この間のがんの進行が心配でした。

 

肝心の治療経過に関してですが、服用して1週間程経った頃でしょうか。それまで頻繁に出ていた咳が治まってきました。そして発熱も治まり、明らかに母の調子は良くなっているように見えました。

 

ただこのプレドニンは多くの副作用が出る可能性がある薬です。やはり効果が高い薬は、その裏側である副作用も強く出るのでしょうね。

母の場合は①血圧上昇(上150程)ムーンフェイス(顔が真ん丸)の症状が出ました。

それともう一つ。良いか悪いかは別として、食欲増進作用が大きく出ました。三食のご飯だけでは足りずに間食を食べる程です(笑)。明らかに副作用ではありますが、ご飯をモリモリ食べる母を見て、私達家族はとても嬉しくなりました。

そして肺炎治療開始から約4か月程が経った頃、何とか治療を開始出来るレベルまで肺炎は回復しました。

 

 

5、ようやく治療再開!

ただ私達が一番心配だったのは、この肺炎治療中にがんが悪化していないかということです。

ところがその点については予想外の結果でした。なんと治療を行っていないにも関わらず肺部分は悪化せず、リンパ節に至っては小さくなっていたのです。本当に人間の体って不思議なものだなと感じました。

 

ただ肺炎による影響は治験中止だけではありませんでした。後遺症として息苦しさが残ってしまったのです。これはあれから半年程経った今も消えず、これを境に治療や生活のバランスが大きく変わってしまいました。

少し動いただけでも息切れし、階段の上り下りといった日常生活にも苦労するようになってしまいました。息切れした時にパルスオキシメーターで酸素濃度を測ると90を切ることもあり、先生に相談すると「改善には酸素ボンベを着けるしかない」と言われてしまいました。(そんな簡単に酸素ボンベなんて言うなよ!)

 

肺炎になる前も副作用で辛かった母ですが、それでも治療前と変わらない日常生活を送れていました。

ただ今回息苦しさが出たことによって、行動量がかなり減ってしまったのです。そうすると体力が低下し、ますます体を動かしにくくなるという悪循環に入ります。

治療をどこまで続けられるかは体力が重要ですし、生活の質そのものにも直結します。

せめて息苦しさが少しでも軽くなって欲しいと願わずにはいられません。

 

とは言えがん治療は「行うリスク」「行わないリスク」両方があります。そしてそれらを天秤にかけ、私達は抗がん剤治療を再開することとなりました。

 

 

6、最後に

それにしても肺炎がこんなに厄介なモノだとは思いませんでした。「肺炎」って「肺」に「炎症」が起きるという言葉ですよね。私は正直そこまで苦労せずに治りそうなイメージを持っていました。

でも肺炎は高齢や持病等により体力や免疫力が落ちていると、命の危険もあります。更には治りにくさや後遺症に繋がる可能性も高まってしまいます。

 

それにしても治療も人生もなかなか思うようにいきませんね。心の底から「肺炎にさえならなければ」と思います。あの肺炎から全てが狂ってしまった...

でもそれを言えば「母ががんにならなければ」、「あの時~でなければ」というものには、キリがないんですよね...

 

結局はこれからの問題全てを解決する究極の決断というものは無いのだと思います。

その時その時ぶつかった壁や問題に対し、その時その時「よりベターな」行動や決断をするしかないのかもしれません。

しかも最善の選択をしたと思っても、その結果が最善のものになる保証はどこにもない。でも決断しないわけにはいかない。時間は待ってはくれない。本当に辛いです。

 

とは言え誰にとっても決断は避けては通れないものです。

私も少々スタートが遅くなってしまいましたが、今からでも選択と決断を自分で出来る人生を歩んでいきたいと思います。