家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

家族だからこその苦悩

皆さんこんにちは、もち丸です。

 

前回までの記事で時系列に沿った振り返りを終えました。今回は「家族が病気という立場故の苦悩」について書きたいと思います。

最初にお断りしておきますが、今回の記事は治療を行っているご本人は見ない方がいいかもしれません。

もしかすると「家族がこんなこと思っているなんてショック」、「治療を受けてるこっちだって辛いんだ!」と思うかもしれないからです。

 

ただ私は母のことを責めるつもりはありませんし、母のことを大切に思っています。そして母には長生きして欲しいと心から思います。

それでも「家族のことが大切だからこそ辛い」ということもあるのです。その為今回の記事はちょっとした「ガス抜き」のようなものです。

長文になっていますが、その点はどうかご容赦を...

 

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1、家族も苦しい

私は現在母と同居中です。その為母の闘病を毎日間近で見ています。

私は母の身体的、精神的苦痛を理解してあげることは出来ません。どんなに想像力を働かせても、やっぱり病気の辛さは体験した人にしか分からないものだと思うからです。

私は母を精一杯サポートしたいと思っています。でも病気自体の苦しさ、治療の苦しさ、そして様々な心や魂の苦しさ…

それらに真の意味で寄り添うことは、家族と言えども出来ないのかなと思います。

 

私は母の苦しみを実感を伴って理解することは出来ません。でも私達家族もやっぱり苦しいんです。「母の苦しさに比べたら私の苦しさなんて比較にならない」とも思いますけども。

私は母を責めるつもりはありません。それでも私達家族にも家族が故の苦しさというのが、やっぱりあると思うのです。

 

 

2、先行きが見えないのが辛い

私の母は肺がんステージ4です。出来ることなら手術で問題部分を全部切り取って欲しいと思いますが、現時点ではそれは難しく現在抗がん剤治療を行っています。

医師からは度々「治療の目的を間違えないでください。私達は完治を目指してはいないですからね」という言葉を聞きます。この言葉を聞くたびに私達は落ち込み、モチベーションも下がり、疲れ果てます。

 

今から書く言葉は人によっては不快感を感じるかもしれません。それでもあえて言うなら「手術という選択肢がある人が羨ましい」「完治を目指して治療が出来る人が羨ましい」と思います。

 

もちろんがんを含め病気の苦しさは人それぞれで、決して比較することは出来ません。

それでも完治という目標を持って治療に臨める人が羨ましくてたまりません。

完治という目標があれば、母も辛い治療を何とか踏ん張れるかもしれない。私達家族も完治という目標を共有し、励ましやサポートに臨むことが出来る。

やっぱり「完治を目指せない」というのは、想像以上に辛いです。いつ母の病気が悪化するかわからない。今の状態がいつまで続いてくれるかわからない。

終わりが見えないんです。でも本当の終わりも来てほしくない。

そして治療が進むにつれ、治療の選択肢が少なくなっている恐怖がある。いつ治療が出来なくなって緩和ケアを紹介されるのかという恐怖が常にあります。

 

私は人が苦しくて仕方ないのは、「今がきつい」、かつ「目標や希望が持てない」時だと思います。

その意味で現在はまさにその状況です。区切りがいい時がなく、毎日が緊張状態です。気持ちを緩める暇がありません。心から安心出来る日が一日も無いんです。

そういう意味ではまるでゴールの無いマラソンを延々と走っている気分です。正直疲れてきました。そりゃ頑張れないですよ。

母には長生きして欲しいと心から思います。でも母が治療を行っている間はこの緊張状態が続きます。

とは言え休み無しに走っていたら、どんなにタフなマラソン選手でも倒れてしまいます。その為患者本人だけでなくサポートする側も、ランナーとしてペース配分や休息の方法を意識して考える必要がありそうです。

 

 

3、母が辛そうなのを見るのが辛い

現時点でがん治療を始めてから3年程経ちます。現在出ている症状は、息苦しさ手足のむくみだるさ等いくつもあります。加えて抗がん剤治療も回数を重ねる程に体にダメージが蓄積しているようで、結構辛そうです。

そして少し体調が悪そうだと、「病気が悪化したんじゃないか」と不安になります。

特に母が特に苦痛を訴えているのは、肺炎後遺症の息苦しさです。幸い肺がん自体による息苦しさはそれほど無いそうですが、少し動いただけでも息が上がってしまい、家の階段を上がるのも一苦労のようです。

 

そして現在私は母と同居していることもあり、良くも悪くも母との距離がとても近いのです。そのことはもちろん幸せなことでもありますが、距離が近いからこそ苦痛な時もあります。

 

そしてもう一つ、私は父のことも心配です。

母の病気が発覚したのは父が仕事を引退した直後でした。元々友人もおらず趣味もほとんど無い父です。その為今は意識の全てが母に向かっていて、母との距離感が近くなりすぎている気がします。

もちろん100%善意から来ているものなのですが、それでも距離が近すぎるとお互いに圧迫感を感じ、息苦しさを感じてしまう危険性があります。

私も父も、適度な距離感を大事にしていきたいものです。

 

 

4、罪悪感が辛い

これはまた別の記事で詳しく書こうと思っていますが、私には「母ががんになった一因は、自分が心配をかけ続けてきたからではないか」という思いがあります。

私はなかなか自分の立ち位置が落ち着かず、ずっと心配をかけ続けてきました。その為母はずっと心労を持ち、常に交感神経優位状態が続いていたのではないかと思います。その為に母の免疫力が落ち、がんになったのではないかと思ってしまうのです。

 

この点については以前紹介したがん患者コミュニティサイト「5years」や、精神腫瘍科で相談したことがありますが、皆が「そうではない」と言ってくれました。

それでも

「自分がもっとしっかりとしていれば、母は楽に生きられたのではないか」

「自分が例えば孫を見せてあげられていたら、治療の支えになれたのではないか」

と思う事があります。

人から「それは違うよ」と言われても、どうしようもなくそう思ってしまうんです。

色々な人が「あなたが楽しく幸せに生きることが一番の親孝行だよ」と言ってくれましたが、この棘のように刺さった罪悪感はなかなか無くなってくれません。

 

 

5、サポート自体が大変

このことは書くかどうか正直迷いました。

私は精神的・物理的に母にとてつもなくお世話になり、たくさんのものをもらいました。現在のサポートを勘定に入れたとしても、とても返しきれない程の恩です。

だからこそこのようなことを書くと恩知らずというか、非常に申し訳ない気持ちになります。

でもここでガス抜きして、またしっかりと母をサポートする為にも、書いてみたいと思います。

 

①病院付き添い

母は現在定期的に複数の病院に通院しています。そして通院時は、父と私で毎回車で送迎をしています。

ただこの点に関して一つ心配なことがあります。私は今は平日母の通院に付き添うことが出来ますが、当然私は就職をするつもりです。そうすれば診察の付き添いを、ほとんど父に任せることになってしまいます。父も加齢により体力が落ちてきていますし、絶対に「疲れた」とは言わず、弱音を吐いたり誰かに相談するということをしない人です。その為父の負担がとても心配です。

 

②母の病院嫌い

母は元々病院嫌いということもあり、がん治療以外の病院にはあまり通院してくれません。(眼科、耳鼻科等)

「もうこれ以上病院には行きたくない」そうです。確かにその気持ちも分からないわけではないのですが...

ですが問題の発見が遅れてしまうと、後でもっと大変な思いをすることになります。それは母はもちろんのこと、それをサポートする家族もなんですよね。どうしたものか...

 

③家事

今更ながらでお恥ずかしいですが、家事を含む家仕事は本当に大変ですね。

特に料理に関しては、私は簡単な料理しか出来ません。昔社員寮暮らしだった時も、寮母さんが食事を作ってくれていましたし...(言い訳)

今は昼食は私担当の為、「どうすれば母に栄養を摂ってもらえるだろう」と毎日悩んでいます。少しずつレパートリーを増やしてやるぜ!

 

④余計なお節介?

これは「患者家族あるある」かもしれませんが、過剰な心配をすることで、却って母の負担になっているかもしれないと思う事が多々あります。

例えば栄養のある食べ物を勧めたり、体力が落ちた人でも出来るような運動を探しては、何とかやってもらおうと試みます。

 

でもまるで「北風と太陽」で、こちらが力めば力む程、母は受け入れてくれません。

例えば母は元々貧血気味ですが、抗がん剤治療によって更に貧血が酷くなっています。

医師や薬剤師からも「息苦しさには貧血も影響している」と言われている為、私としても鉄分をしっかりと摂ってもらいたいと思います。

その為例えばミロを勧めてみても、ほとんど飲んでもらえません。味が気に入らないそうです(泣)。「ミロなんて牛乳に溶かして飲むだけなのに」と思ってしまうのですが...

 

もちろん母には何を食べるのかを自分で決める権利があります。でも病気自体はすぐに解決出来なくても、貧血なら多少改善出来る可能性があるのにと、正直イライラしてしまいます。

家族って距離が近いからこそ、意地や押しつけが入ってしまうことってありますよね。

どうしたらお互いに良い距離間を保ちつつ、母にとって良いサポートになるのだろうと悩みは尽きません。

 

 

6、コロナがうっとうしい

何と言ってもこのコロナは、色々なことを面倒にしている存在です。もうコロナという存在が見えるのなら、ボコボコにして世の中から抹殺したいと思います。

ただコロナに関しては別記事でゆっくり書くつもりなので、今回は軽くにとどめます。

 

母は肺がんです。さらには肺炎の後遺症がある為、当然コロナによる重症化リスクはかなり大きいです。その為母にとってコロナは命取りになりかねません。更に外出時は常にマスクをしている為、息苦しさが増してしまうようです。

 

更には父が重度の喘息ということもあり、私はかなりコロナに関して敏感になっています。

「絶対にうつすわけにはいかない」と思い、外食は去年の3月から一度もしていませんし、友人とも去年の11月から一度も会っていません。また趣味のバドミントンも自粛しています。

ただ私が過剰になっているのは認めますが、姉はスポーツや習い事等を続けている為、正直腹が立ちます。いくら家族全員で気を付けていても、一人がリスクある行動をしていると、家族全員の感染リスクが上がってしまうからです。

ただこれはどちらの感覚が正しいかとは言えない問題なので、非常に疲れます。姉は姉なりに気を付けているんでしょうが...

 

それと私自身色々な経験を得ようと行動を増やしたいと思っていますが、感染リスクを考えるとなかなかアクセルを踏み切れないというジレンマがあります。

元々出不精気味の母は、買い物以外は家にいます。確かにコロナ禍においては行動自粛は大切ですが、このままでは益々体力が低下してしまいます。

本当にコロナさえなければと思わずにはいられません。コロナさえなければ母を色々な場所に連れて行ってあげるのに...

 

 

7、最後に

このテーマに関しては正直いくらでも書けます。でも長すぎると誰も読んでくれないと思いますので、これでも削るのを頑張りました。

 

今回は家族としての苦悩を綴りましたが、母も色々なことを考えているのだろうなと思います。母は私の見える範囲では取り乱したりはしませんが、母の心情を思うといたたまれなくなります。私と違って弱音を吐かず人に相談しない母は、どうやって心のバランスをとっているんだろうと心配になります。

 

でも私は母をサポートしつつも、自分の人生を進んでいかなければならない。

「意識して」楽しいことをして、「意識して」ゆっくりすることを自分に許したいと思います。そして「千里の道も一歩から」を胸に、おっかなびっくりの小さな一歩で進んでいきます。

母は自分を責めていない。誰も自分を責めてはいない。何かをするのに、あるいは何もしないことに罪悪感を感じたとしても大丈夫。

罪悪感を捨てることが出来ない自分を責めなくてもいい。そして心が感じたことを大切にしながら、母との長い道をゆっくりと歩いて行きたいと思います。