家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

緩和ケアは次のステージに

皆さんこんにちは。もち丸です。

今私と同じく家族のサポートに携わっている皆様、体調はどうですか?私はちょっと疲れています。さすがにこれ以上は頑張れないっていう状況です。

こういう時こそ意識してゆっくりすることが大切だとはわかっているのですが、こんな時にゆっくりなんて出来るわけないですね。でも倒れるわけにはいきませんし...

あー、疲れました。やってられん!って感じの日々です。

 

 

 

 

1、緩和ケア中に安らぐ時間はない

いやー、疲れました。久しぶりの更新なのですが、この間色々とありました。

現在ひと月に一度緩和ケアに通院していますが、治療が出来ない以上薬の調整しか出来ることはありません。もう「今は辛いけどこれを超えたらきっと楽になれる」という状況は来ないのです。これは本当に辛いです。

 

やはり「今辛い状況にある」+「その状況に終わりが見えない」時は、心は安らぎません。

以前どこかの医師が「自分が死ぬならがんで死にたい」とか言っていましたが、家族の立場からしたら「ふざけるな!」と思います。

確かにある日突然家族を亡くす苦しさも想像を絶するものがあると思いますが、毎日削られていく日々もとても苦しいです。

医師は診察時間だけ会って終わりですが、家族はずっと状況と向き合わなければならないからです。その医師はそれがどのようなものなのか、本当にわかっているのでしょうか?

 

 

2、貧血に改善の兆し?

そんな日々消耗する緩和ケアですが、この前少しだけ希望を感じる話が聞けました。

母は貧血に関係する血液検査の数値が、正常値の3分の1以下です。それと肺がんによる肺機能の低下、間質性肺炎等により、日常的に息苦しさを感じています。

ただ貧血に関しては様々な種類の貧血がある為、それを調べる為により詳しく貧血を調べる検査をしました。

がんの人は体に十分鉄があっても上手く赤血球を作れないケースがあるそうで、その場合は鉄剤を飲んでも改善されないことが多いそうです。ですが検査の結果母は実際に体の中にある鉄分が少ないことがわかったのです。

その為鉄剤が処方されることになり、「これで母の息苦しさが少しは改善されるかもしれない」と少し希望を持てました。

 

 

3、希望が見えてもすぐ落とされる

私は母のがん治療が始まってから、「希望を見出しては落とされる」ということを繰り返してきました。そして今回貧血改善の兆しを感じた後も、またすぐに落とされることになりました。先日の緩和ケア診察で、「そろそろ自宅近くの病院で緩和ケアを受けていい時期かもしれない」と言われてしまったのです。

 

一度この先生が休診の時に、代診の先生に診てもらったことがあったのですが、その先生は「患者に安心を与える」のとは真逆の印象で、説明というよりも宣告するような態度でした。その先生がカルテに書き込んだことが影響したのかはわかりませんし、その先生のいう事は正しかったのかもしれません。

それでもわずかにかき集めた希望を、打ち砕かれたような気がしました。

 

私は母が緩和ケアに入ったという事実から目を背けているわけではありません。ですがそれでも「もしかしたら奇跡が起きるかもしれない」、「たとえ治らなくとも共生出来るかもしれない」と思わずにはいられないのです。

そんな風に希望を見出しては裏切られるのというのを繰り返していると、流石に疲れ果ててきます。

 

 

4、緩和ケアの先生に望むこと

私は緩和ケアを担当する先生に強く望むことがあります。それは患者側の気持ちを考えた態度をとって欲しいということです。

 

私の母は代診を含めて何人かの緩和ケア科の先生に診察していただきました。ほとんどの先生は普通の診療科の医師とは違い、言葉の使い方や圧迫感を与えないような態度等、配慮したコミュニケーションを心掛けている印象でした。

こちらが話したいことをしっかりと話せる雰囲気作り、心と体の痛みをないがしろにしない態度等、様々なことに配慮してくれていました。ただ一人だけ突き放すような態度をとった医師がいたのです。

 

緩和ケアはこれまでの治療とは明らかに性格が異なります。その目的は患者が感じるあらゆる痛みの軽減だと思います。

このステージに入った患者と家族は、既に心身が疲弊しきっていて、ちょっとした態度や言葉にも敏感になっています。母がどう思っているのかはわかりませんが、私は元々治療を受けていた科から、見捨てられたような寂しさを感じています。そのような時に緩和ケアの先生から冷たい態度(そう思ってしまう態度)をとられると、心のやり場がなくなるのです。

 

先生が大変忙しいことはわかっています。ですが忙しいからと言って患者に対して言葉が荒くなったり、患者の方が気を遣うような雰囲気になってはいけないと私は思います。

これが「医師と患者」という関係ではなく、一般企業のような「サービス提供者と顧客」の関係ならば、例え忙しかったとしても、顧客に横柄な態度を取れば即アウトのはずです。もちろん「こっちはサービスを受ける側なんだ!」と偉そうにするつもりは全くありませんが、医師と患者というのはつくづく不思議な関係だと思います。

 

心と体は密接に結びついています。「同じ処置をする」、「同じ事実を伝える」にしても伝え方一つでこちらの受け取る印象も大きく変わります。本当に言葉一つ、態度一つで「もうちょっと頑張ってみよう」とも「もう死にたい」どちらにも傾きます。

そして心が沈めば意欲も回復力も落ちてしまいます。

これが超優秀な外科医で完治の見込みがある場合ならば、例え口が悪くともまだ納得出来るかもしれませんが、治療が終わってしまった人にとっては、頼れるのは先生の言葉と処置しかないのです。患者だけでなくその家族もなるべく痛い思いはしたくありません。

 

緩和ケアを受ける方の心が少しでも平穏になるよう、どうかよろしくお願い致します。

 

 

5、緩和ケアは次のステージに

そして母は今後自宅近くの緩和ケア一本に絞ることになりました。

以前自宅近くの病院の緩和ケアを受診し、無理なく行けるうちはこれまでお世話になった病院の緩和ケアを受けたい旨は伝えてありましたが、とうとうその時が来てしまいました。

現在は食欲や元気もありますが、状況を考えると自宅近くの病院の方が楽であることと、訪問診療も視野に入れた方がいいことを言われたのです。

 

やっぱりかなりショックでしたよ。最近はこのまま元気にいってくれるんじゃないかと思っていた矢先でしたから。私はその後2、3日は糸が切れたように頑張れなくなりました。

先生は「緩和ケアはどこの病院でもあまり差がなく受けられますよ」と言っていましたが、やっぱり病院で大事なのって治療内容だけじゃないですよね。先生との相性や主治医以外の存在等、色々な要素があると思います。

不安は大きいですし疑問も正直残りますが、これでこの病院との全ての縁が切れるわけではないので、転院を受け入れることになりました。

 

 

6、最後に

母の状況が変わるたびに疲弊し、気持ちがなかなか追いつきません。あとどれだけこんな想いをしなければならないのでしょうか。

私は母が病気になってから色々な人に「親は子供より先に旅立つもの」、「そんなものだよ」と言われました。その人達は簡単に言いますが、やはり親は私にとって特別な存在です。出来る限り長生きして欲しいです。

私と同じような状況にある人には、私の苦しさが通じるのではないかなと思います。

 

「早くしないと間に合わなくなる!」と焦る日々ですが、焦っても自分を責めても事態は好転しないということだけはわかっています。

このような状況で前に進まないといけないのはなかなかしんどいですね。適度に現実逃避しながらじっくり進みたいと思います。