家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

随筆 コロナに対する不満

皆さんこんにちは、もち丸です。

今回は自分が日々感じている「コロナに対する感覚の違い」について書いていきたいと思います。

 

私は「家族や仕事の状況によって、コロナに対する考え方は人それぞれ」ということを、頭では理解しているつもりです。

ちなみに私はこれまで述べてきたように、コロナに対して高い危機感を持ち、感染対策を徹底しています。

ただ今回の記事は自分の正しさを押し付けるものではなく、他の方と議論するつもりもございません。あくまで私の愚痴吐きのようなものです。

 

その為「コロナに関する一連の流れは陰謀だ」、「コロナは大したことない」といった考えをお持ちの方は、この記事を読まずにお帰り頂ければと思います。

 

 

 

1、自分は何故コロナを恐れているのか

これまでも触れてきましたが、私の母は現在肺がんの緩和ケアを受けていて、間質性肺炎にかかったこともあります。また父は重度の喘息があり、二人ともコロナ重症化リスクはかなり高いと言えます。

また以前抗がん剤治療中を受けていた時は、骨髄抑制等の影響から感染症に要注意な時期もありました。

 

私が一番怖いのは、自分がコロナになって苦しむよりも、自分が両親にコロナをうつし、最悪の事態になる可能性です。

そのことについて両親は気にしなくていいと言ってくれていますが、もしそうなったら恐らく私は自分を許せず、生涯自分を責め続けるような気がします。

そのような状況になることに比べたら、感染対策を徹底し息苦しい思いをする方がまだマシだと思いました。

 

私の周りにはコロナによって亡くなった方、重症化した方もいて、ワクチン接種済み・ワクチン未接種の方両方がいます。(ワクチンについてはここでは触れません)

そしてその方の家族はコロナの影響で面会も出来ず、最後のお別れも出来ないようでした。

そのような話を聞くと私は怖いです。ただでさえ母の状況がいつ変わるかという怖さを日々感じていることに加え、コロナによって突然その日が来てしまうと考えると、どうしても感染対策を緩める気にはならないのです。

 

コロナに対しては「ワクチンよりも免疫力を~」という声も良く聞きます。ですが私の母のように病気や薬の影響から、免疫力を上げたくてもそれが難しい人もいるのです。

 

 

2、変化への戸惑い

ここからは更に私個人の考えとなります。共感出来る人のみ読み進めていただきたいと思います。

 

新型コロナが2類から5類に変更されることが決定され、マスク着用に関してもルールや空気の変化が出てきています。

また季節も冬から春に変わりつつあり、人々の行動範囲も広がってきたように思います。

 

ですが母の看護をしながら感染対策を徹底している私からすれば、そのような変化に戸惑いと苛立ちを感じます。

ただ仮定の話ではありますが、私自身も家族の重症化リスクが高くなければ、行動範囲を広げていただろうと思います。友人と食事をしたりお酒を飲んだり、旅行割だって使いたいです。

でも今はまだそんな気分になれません。

いくらコロナが弱毒化したとはいえ、持病がある人にとっては、総合的なリスクは変わらないのではないかと思います。

むしろコロナに感染する人が多くなることで、相対的に私も家族も感染する確率が上がるとさえ思います。

 

 

3、「2類?5類?」

私個人としては、コロナの5類移行には疑問を感じています。これは本当に考えは人それぞれだと思います。

 

ある程度治療方針が確立されているインフルエンザと、新型コロナが同じ分類だとは現時点では思えません。(もちろん人によっては重症化や、亡くなる方もいますが)

また5類になったことで、コロナに対応出来る(する)病院も、すぐに増えるとは思えません。やはり病院設備やマンパワー、ゾーンニングの分離等、対応する為のハードルも高そうです。

 

私は「ただの風邪がここまで後遺症を残すのだろうか?」と思います。少なくとも私はまだ、マスクを外して人と至近距離で話そうとは思えません。

 

 

4、周囲への苛立ち

ですが人々は徐々に動き始めています。もちろん今も私と同じように感染に気を付けている人もたくさんいるでしょう。

 

正直な話人々が動き始めているのに、未だ不自由を余儀なくされている状況に(自分で選んでいる部分もあるとは思いますが)、イライラしています。

「なんで俺は気が抜けないのに、他の人は動いているんだよ」という叫びです。

「あんたらが楽しく動いたら、そのツケがこっちに来るかもしれないんだぞ」という思いです。

 

私がコロナ前まで参加していたバドミントンサークルのメンバーも、皆当たり前のように活動しています。まぁ緊急事態宣言中でも、彼らは普通にバドミントンをしていましたが...

その人達にも対して「怒りや失望」のようなものを、感じるようになってしまいました。

 

 

5、その一方で

そのように人と距離を感じるようになった一方で、私と感覚が近い人達もたくさんいることもわかりました。

人によって「持病があるから」、「医療従事者だから」、「コロナが重症化して大変だったから」等、感染に気を付ける理由は様々です。

 

これって本当に難しい問題ですよね。「自分の周りに感染者があまりいない」、「コロナになっても軽症だった」という状況であれば、「コロナなんてただの風邪だよ。それよりも過剰な対策が及ぼす弊害の方がでかいじゃん」といった考えになるのも無理はないと思います。

一方自分や周りがコロナで苦しい思いをしたとしたら、「やっぱりコロナは風邪じゃないんだよ。皆危機意識が低すぎだ」となるでしょう。この両者の溝は、なかなかに根深いものです。

 

やはりコロナに対する考えの違いは、人に分断をもたらし、人の攻撃的な部分をあらわにしてしまったように感じます。(自分も含めて)

なんとかお互い攻撃的にならず、尊重することが出来ればいいんですけどね。

 

 

6、自分はどうするか

結局は「じゃあ自分はどうするか」ということですよね。どうしましょうね。

 

個人的には少しずつ行動範囲を広げていきたいと思っています。ですがマスクや消毒等の感染対策は、これからも続けるつもりです。

幸い自分の境遇を知っている友人が色々と声をかけてくれているので、誘いにのってみようかなと思います。やっぱりちょっと心配ですけどね。

最近人間もやっぱり動物なんだなあと感じます。暖かくなってくると巣(家)から出てくるものなんですよね。(笑)

 

 

7、最後に

ここまで心情を書いてきて、少しスッキリしました。やっぱり考えや感情を飲み込んでいると心身の流れも滞り、体調は悪くなりますね。

やはり人間の心身の健康には、「新しいものを取り入れて古いものを出す。そうして循環や流れを良くしていく」ことが大切なんだなあと感じます。

 

最近母の体調はあまりよくなく、私のストレスや心配事は依然大きいままです。そしてそんな自分の気持ちとは関係なく、社会は動き流れていきます。

その流れを無視してそこに留まろうとすると、自分も息苦しく、気付いたら自分だけが取り残されていたということになりそうな気がします。コロナの感染も怖いですが、そのこともすごく怖いです。

 

今自分に出来ることを少しずつやりながら、日々丁寧に過ごしていきたいと思います。

そして事態が少しでも良い方向に行く事を願います。