家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

治療中止の宣告

皆さん、こんにちは。もち丸です。

 

実はつい先日、かなりキツイ出来事がありました。母の肺がんの積極的治療がストップすることになってしまったのです。

キツイです。本当にキツイです。つい2、3日前のことなので、正直全く気持ちが追い付いていません。

ただどこかにこの心情を出さないと自分がもたないと思い、記事を書いていきます。

 

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1、自分の精神腫瘍科受診、のはずが…

先日母の病院に付き添った時の話です。私はその日「精神腫瘍科」を受診しました。

精神腫瘍科とは患者本人と患者家族を対象にした、がんに特化した精神科のことです。精神科医や心理士が話を聞いてくれ、心身に症状が出ている場合は、薬も服用してくれます。

本来はそのことを今回の記事のテーマにするつもりでした。

 

その日は母の全身CT検査を行い、次の治療をどうするかについて話すという日でした。

私は母の診察の際、出来る限り同席していましたが、今回は自分自身の診察が終わった後でも充分間に合うと思い、別行動をとることにしたのです。

 

ところが待ち時間に父から「先生が息子さんの予定が終わってから時間を作ると言っている」とのメールが来ました。その日は主治医の正規の診察日ではなかった為、ある程度時間の融通が利くからだろうとも思いましたが、いつもと違う話の流れに嫌な予感がしました。

精神腫瘍科では看護師、心理士、医師が様々な角度から話を聞いてくれた為、本来なら時間を十分にとってくれて嬉しいはずなのですが、段々と時間がかかっていることに焦りを感じるようになりました。

 

そしてこちらの診察が終わり、急いで二人のもとに行くと、薬剤師に付き添われた両親がこちらに歩いてきます。そして父が「今日こそお前がいてくれたら良かった」と言いました。

この時点で物凄く嫌な予感がしました。とっさに「治療が終わるんじゃないだろうな」と思いました。

 

 

2、治療中止の宣告

そして落ち着ける場所に座り、両親と薬剤師とで話し始めました。

でも話を聞く前から、正直その話なんだろうなとわかりました。

そして「リンパ節部分が大きくなっていることから、薬の効果があまり出ていない。しかも肺炎悪化の恐れがあることから、次の治療候補・オプジーボを使うことも危険らしい」という話を聞き、「緩和ケア」という言葉が出てきました。

 

私は「あ~、ついにきてしまったか」と思い、どこかで少し予想していたものの、「もうキツイ」と思いました。

私は祈っていたんです。肺がんステージⅣということで、状況が厳しいとはわかっていましたが、それでも奇跡が起きて欲しいと。例え完全には無くならなくとも、あまり大きくならずに長い時間生きることが出来る人だっているはずだと。

 

薬剤師さんは「緩和ケア=ターミナルケアではないですよ。今治療を続けてしまうと肺炎が悪化する可能性があり、それと期待出来る治療効果を天秤にかけた結果なんです」と言いました。

ひとまず直近の治療は脇下の腫れたリンパ節部分に放射線治療を行い、痛みをとることだそうです。ただそれは治療目的ではなく、あくまで緩和目的とのこと。

 

私は「ふざけんなよ。勘弁してくれよ。そんな簡単に科学的根拠とかこっちが反論出来ない言葉をかけないでくれよ」と思いました。そして「頼むよ。なんとかしてくれよ」とも思いました。

母は「私が死んだらもう苦しまなくていいってことだから、悲しまないでいいよ」と言いました。この言葉は聞いていて本当に辛かったです。

 

 

3、希望が欲しい

私達は治療開始前に先生から「治療の目的は完治ではない」と言われていました。それでも今治療をしている」という実感があることが、唯一の救いだったんです。そして可能性が低くとも、母の場合は奇跡が起きるんじゃないかと祈っていたんです。それだけが辛い時期を何とか踏ん張れていた私のモチベーションでした。

 

そして私は苦しいと思うと同時に、「やばい、崩れるかもしれない」と思いました。私は常にギリギリの精神状態でしたから、あと一つ何か加わってしまうと自分は潰れてしまうと考えていました。そしてそれに備える為、漢方内科精神腫瘍科、更には以前説明した「5years」等を頼り、なんとか持ちこたえようと頑張っていたのです。

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更には父のことも心配です。現在ベクトルの全てが母に向かっている父。母に何かあった時、父もそのままダウンしてしまうんじゃないかと思うと怖いです。

 

今治療の効果が出なくとも、「次がある」と思いたいのです。その次が無いとしたら、どうやってメンタルを保てばいいのでしょう。

ただふと私は以前体調を崩したことによって、昔より「周りに助けを求めるハードルが下がったかもしれないな」とも思いました。人は本当に限界まで追い詰められると、外に助けを求めるしかないからです。

「神様、どうか奇跡を起こして母のがんを治し、心身に健康と平穏をお与えください。お願いします」

 

 

4、しばらくは前向きは止めよう

そして気持ちが落ち着かない今思う事は、「しばらくは前向きに自分の気持ちを上げようとしない方がいいな」ということです。

 

私自身少し経験があるのですが、自分をアゲて前向きになるやり方は、ある程度期間が決まっている時には有効ですが、終わりが無い・あるいは見えない時には危険だという事です。いつかエネルギー切れを起こし、焦りと罪悪感、無力感をより強く感じるようになると思うからです。

今無理に前向きにふるまうことは恐らく自分には合わない。今は落ち込んだり揺れたりすることを少し許して、ちょっとペースを落とし、気持ちが動くことを少しずつやっていくのがいいと思います。そして色々な力(ブログ、精神腫瘍科、5years等)を自分のペースで使い、少しでもストレスを小さくしたいと思っています。

何よりも自分を守らねばと思います。

 

 

5、最後に

とは言えこの先のことを考えると怖くて仕方ありません。不安感が大きく精神的にギリギリだと思います。

私達はまずは放射線科を受診し、腫れて痛みのあるリンパ節部分に対処してもらいます。その後は主治医と相談し、この先どうしていくかを考えていくのだと思います。

 

唯一の救いは抗がん剤治療をストップすることにより、今出ている様々な副作用が小さくなっていくということです。足の出血、倦怠感、脱毛、静脈炎等は少しずつ癒されていくでしょう。

そして去年の2月~6月頃までの休薬期間、がんは私達の心配に反して、大きくなるどころか小さくなりました。体が少しでも楽になれば、エネルギーが生まれます。私は母の生命力に希望を持つと共に、肺炎が治まり新たな治療選択肢が生まれることを心から祈ります。

 

「まずは一つ一つ、一日一日。どんなに焦っても一回で出来ることは少ない。1年後のことなんか誰にもわからない」と、自分に言い聞かせて日々を過ごしていきたいです。

あとは自分が楽しい、やりたいと思う事をやることを自分に許したい。スモールステップで目標に近づいていきたいです。

「俺まだなんにも親孝行出来てないよ。心配しかかけてないよ。もっと長く一緒にいたい。もっと色々なものを見せたい。もっと色々してあげあたい。自分の成長した姿を見せたい」と思います。

 

どうか2022年が良い年になりますように。私は心から祈ります。

貧血。からの輸血?

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。もち丸です。

今年は一日一日を大切に丁寧に、自分なりの希望を持って日々生活していきたいと思っております。

皆様の心身の健康と平穏を心からお祈り致します。

 

さて今回の内容は時期としては去年(2021年)の12月の話になりますが、「輸血」の話になります。

これは抗がん剤治療による副作用によって、貧血が悪化してしまったことが原因です。

それではどうぞご覧ください。

 

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1、何故貧血?

元々母はがんになる前から、貧血の傾向がありました。

とは言えたまにクラッとくることはあるものの、治療が必要なレベルではありませんでした。

ところが抗がん剤副作用により、全身の血液を作る「骨髄」がダメージを受けてしまいました。

その結果赤血球が少なくなってしまい、貧血が悪化してしまったというのです。

 

 

2、急激な貧血悪化

ただ抗がん剤治療と言っても、母はこれまでも抗がん剤治療を受けていました。そして通院時には毎回血液検査等を受け、体調をしっかりとチェックしていました。

そして確かに赤血球の数値は低かったものの、まだ問題はないと言われていました。

 

母は日常的に息苦しさが続いていたものの、息苦しさは肺炎の後遺症や肺がんから来ているのだろうと私達は思っていました。

ところが輸血をする1週間程前、買い物中にふらつき、あわや倒れそうという場面が発生してしまいました。

いくら後遺症や症状のせいとは言え、さすがにここまで来ると事故等の危険性もある為、今度の診察で先生に相談しようと思いました。

 

 

3、抗がん剤地用のはずが...

そして4週間に一度の診察&抗がん剤点滴の日。

前回は鼻血等の出血があったことから、本来ドセタキセル「サイラムザの二つ点滴予定が、ドセタキセルのみの点滴でした。今回もまだ出血が少し残っていたことから「今回もサイラムザは打てないのかな」と思い、診察に臨みました。

ところが主治医からは予想外の言葉が。

 

「貧血がかなり悪化しているので、このままだと治療は出来ない」

「治療を続ける為には輸血をするしかない」

とのこと。

 

どうやらドセタキセルによって骨髄抑制が大きく出てしまい、赤血球数値がかなり危険なレベルまで下がってしまったというのです。

そして現在母が息苦しく感じている原因に、この貧血が大きく影響しているのではないかと言われました。

先生だけでなく看護師、薬剤師からも「ここまで数値が悪化したら目まいやふらつき、息苦しさが出て当然ですよ」とのこと。

 

加えて最近母は息苦しさに加えて、立ち眩み手足の冷え等も感じているようでした。

貧血、つまりは赤血球が少ない状態ですが、その状態では体の隅々に酸素を送ることが出来ない為、上記症状が出てしまうようです。

先生に「鉄分を多く含む食品を摂ると改善するのか」と聞きましたが、「改善しないとは言わないが、いくら材料(鉄)がたくさんあっても、赤血球を作る工場(骨髄)の生産能力が落ちていると、製品を十分に作れない」とのこと。

 

私の母はドセタキセル治療に際、ジーラスタという注射を使っています。これは骨髄抑制による白血球数低下に備える為ですが、ジーラスタは赤血球数低下には対応していないようです。どうせなら赤血球も一緒に作ってくれればいいのにと思います。

 

 

4、さすがの母も即決出来ず

これまで治療薬の変更や治験参加を決める時は比較的即決してきた母ですが、輸血の提案にはさすがに動揺していました。

母によると「薬は仕方ないにしても、輸血には抵抗がある」とのこと。

 

私としては治療継続の為、そして息苦しさ改善の為にも輸血をして欲しいです。ですがこれは理屈ではなく感情の問題です。そしてそれを周りの家族が理論で抑え込んではいけないと思いました。

ただ「抗がん剤治療において輸血は決してめずらしいことではないこと」、「輸血によって息苦しさは確実に楽になる」という説明を受け、母は渋々納得したという感じでした。

 

輸血に使う血液は献血によって賄われているもの、いわば人の善意が形になったものです。母にはそのことと、少しでも息苦しいのが楽になるといいねと伝えるのが精一杯でした。

 

 

5、輸血開始

さて実際の輸血に関してですが、母の場合は400ccの血液を2パック、つまり800ccの輸血を行いました。1パックあたり2時間程、合計で4時間強かけて輸血を行いました。

母は先生に「800ccって随分多くないですか?」と言いましたが、先生からは「逆に言うとそれほど今体に血液が足りていないんですよ」とのことでした。

 

そして輸血を行うに当たり通常の血液検査に加え、輸血直前に「母の血液」と「輸血する血液」が拒絶反応しないかという検査を行いました。

今の輸血は様々な検査を事前に行っており、0リスクとは言えないものの、かなり安全に輸血することが出来るそうです。それでも万が一のリスクを考えて、こうして事前に検査するそうです。もちろん事前検査と実際に母に輸血した時の状況が同じとは言えませんけどね。

そしていざ輸血が始まりました。

 

とは言え母が輸血している時間に、私に出来ることはほとんどありません。時折母の様子を見に行く以外は、本を読んだり、ゲームをしたり、ウトウトしたり…

そしてなんだかんだ言って輸血は一日がかりでしたね。でもこれで母が少しでも楽になってくれればいいなと願い、母の輸血が終わるのを待ちました。

 

 

6、輸血の効果の程は?

そして輸血が終わり、こちらに向かってくる母。その様子を見ると、朝と比べて足取りが明らかに軽いのです。相変わらず息苦しさは残るようですが、「足が前に出る」と話していました。

加えて顔の血色も赤みがかっています。更に輸血中はパルスオキシメーターで血中酸素濃度を度々測るのですが、その数値はいずれも98を超え、それは母ががん治療を始めてから初めてのことでした。

 

一般的に貧血に対処する為の輸血は比較的即効性があり、多くの人が帰宅時にはかなり楽になっているとのことです。

ただ母の場合は期待した程は息苦しさが楽にならなかったようで、少しがっかりしていました。

やはり母の息苦しさは貧血だけが原因ではなく、色々な要素が絡んでいるのだと思います。ただ輸血によって貧血部分の息苦しさは改善されると思いますので、もう少し様子を見守ろうと思います。

 

 

7、最後に

正直輸血によって、もっと劇的に母の体調が良くなるのかなと期待していたこともあり、「思った程の効果はなかったな」というのが本音です。

ただがん治療に関して、ここまで副作用に対する改善策が用意されているのだなと思うと、改めて医学って凄いなと思います。「輸血」というシステムがなければ、母はその時点で治療がストップしていたでしょうから。

 

私は随分前に一度400ccの献血をしたことがありますが、献血が終わった後は少しふらつきがありました。「400でこれだけふらつくなら、母はふらついて当然だな」と思い、輸血出来て良かったのかなと感じました。

そしてこれまであまり気にすることのなかった、献血を呼び掛けている方や実際に献血を行ってくれる方に対して、感謝の気持ちを持つようになりました。

 

改めて人は人に生かされている(活かされている)と強く感じ、人の善意に感謝致します。

2021年振り返り

皆さんこんにちは。もち丸です。

いよいよ2021年も終わりですね。いや~、なんだか寂しいです。

今回は今年最後の記事になりますが、今年一年を改めて振り返ってみたいと思います。

 

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1、肺炎発症からの治験中止

母にとって今年一番のアクシデントと言えば、間違いなくこの肺炎です。

今年の初めに治験に参加することになった母。不安と期待を胸に治験参加に臨もうとしていた矢先に肺炎を発症し、治験参加が中止になってしまいました。

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使っていた抗がん剤の効果が落ちてきたというだけでもキツイのに、この出来事により私達は心が折れかけました。

肺炎にさえなければ治験に参加出来、新たな可能性があったのにと悔やまれてなりません。

幸い現在は治療が再開出来るところまでは回復しましたが、後遺症として今でも息切れや息苦しさが残っています。

皆様、特にがん治療をしている方は、くれぐれも肺炎にはご注意ください。

 

 

2、肺炎による治療の停滞

治験が中止になったこと自体もショックでしたが、肺炎が落ち着くまでの治療が出来なかった時期も、本当に苦しい時期でした。治療が再開出来るまでの約半年間は、「病気が悪くなっていないか」という不安が常にありました。

治療が出来ない時の焦りや不安は、同じがん治療をしている方なら分かっていただけると思います。

幸い母の場合は進行するどころか小さくなっていたので、「本当に人間の体は不思議なものだなぁ」と思いました。

やはり治療は大事なことですが、体に負担がかかるというのも事実ですので、それがなくなったことで心身が少し楽になったことも影響しているとのことでした。

 

今回の肺炎は恐らく薬害による間質性肺炎だろうとのことですが、肺炎の怖さを身に染みて感じました。

繰り返しになりますが、皆様も肺炎にはくれぐれもご注意を。

 

 

3、足に血栓が出来た

今年の5月頃足に血栓が出来てしまったことも、治療に影響をもたらしました。元々がんになった人は血栓が出来やすくなるらしいのですが、抗がん剤副作用によりあまり動かなくなったことも原因だそうです。

血栓症自体も脳血栓や肺血栓により、命に関わることがありますが、治療の為の「血液をサラサラにする薬(エリキュース)」が問題になったのです。

 

現在ドセタキセルに加えサイラムザという抗がん剤を使っているのですが、このサイラムザには出血しやすくなるという副作用があります。母も治療を開始してから鼻血が出ることがありますが、エリキュース服用により、血が止まりにくい状態になっているのです。そして元々貧血気味の母は更に貧血が悪化し、前回と前々回の治療ではサイラムザの使用が中止になってしまいました。

がん治療においては何か一つ問題が発生すると、治療全体に影響を及ぼしてしまうということを強く実感しました。

 

また貧血への対処として先日輸血を行いましたが、その詳細は別の記事で書くつもりです。

 

 

4、待ちに待ったオリンピック

今年は私達家族にとって大変な一年だったのは間違いありませんが、記憶に残る素晴らしい出来事もありました。それは東京オリンピックパラリンピックの開催です。

この大会開催の是非については様々な意見がありますが、私は開催されて心から良かったと思っています。

 

母は病気になってからこの2020年オリンピックが、自分が見る最後のオリンピックかもしれないと思っていたようです。そして日本開催ということもあり、元々スポーツイベントが大好きな母は、「この大会は何が何でも見たい」と本当に楽しみにしていました。

ところが憎きコロナの影響で、開催は2021年に延期となってしまいました。

私も母が病気でなければ「こんな状況では無理に決まってる。来年コロナが落ち着いていることを期待して待とう」と思います。ですががんに関わらず大病を患っている人にとっては、「当たり前のように来る来年」があるかは、はっきりわからないのです。

 

母にとってオリンピックは、苦しい治療を乗り切るモチベーションの一つとなっていました。その為オリンピック延期は、支えの一つを失うことでもあります。

母にとって一年という期間がどれだけ貴重な時間であるかということを知っているからこそショックでした。

そしてコロナは収束どころか益々猛威を増していきます。私は「この状況じゃ2021年も無理かもしれない」と思い始めていきました。

 

ですが無観客等の様々な制限付きではあるものの、開催が決定されました。

私自身母が病気でなければ「こんな状況でオリンピックなんて出来るわけないだろう」と思ったでしょうし、「オリンピック開催もそれを歓迎する事も悪」というような空気が出ることもよくわかります。

それでも「日本で開催される記念すべきオリンピックを母と見ることが出来る」と、嬉しくてたまりませんでした。

 

そして私達はオリンピック・パラリンピック共に夢中になりました。

特にパラアスリートは自分の障害や抱えているものを認め、その上で自分が出来ることに全力で打ち込んでいる人達です。その姿勢を心から尊敬します。

障害はあってもそれは心までは縛らない。出来る場所で出来ることをやる。彼らが笑顔で過ごせるまで、どれだけの後悔、怒りを乗り越えたのだろう。私も早くそのようになりたいです。

このようにこの東京2020オリンピックは、私にとって間違いなく記憶に残るスポーツ大会となりました。

 

 

5、憎きコロナ

コロナは去年に引き続き今年も私達を苦しめました。私は家族に絶対にうつすまいと、必死に感染対策に臨んできました。

幸い今のところ家族はコロナに罹っていないようですが、コロナは人間関係にも変化、というか気付きをもたらしてしまいました。

私と周囲の感染対策意識の差が浮き彫りになってしまったのです。

 

一番気になったことは私の周りにも、緊急事態宣言中にバドミントンや食事をしていた人がたくさんいたということです。

その人達は決して常識知らずではありません。むしろ良識をしっかり持っている人だと思っています。コロナさえなければ今もその人達とバドミントンをやっていたと思いますが、私の心はその人達から少し離れてしまいました。

 

一方で同じ感覚を共有出来た人もたくさんいましたが、コロナは「本来当たり前である人との感覚の違い」を、改めて意識する出来事となりました。

ただ長引く行動自粛によって、意図せず家族と非常に濃い時間を過ごすが出来ました。いつかこの時期のことを懐かしく思い出すような時が来るような気がします。

 

来年は今まで我慢していたこと全てが出来ますように。

 

 

6、尽きぬ心配

今年一番大きく感じていたことは、やはり母に関する心配です。

私は母の病気が治ることを心から祈っています。奇跡が起きて欲しいです。とは言え現時点では手術は出来ず、抗がん剤治療を行っています。

治療効果は一進一退といったところです。小さくなったり、大きくなったり、変わらなかったり...

ただ共通しているのは完全には無くならないということです。つまりこの均衡がいつ崩れるのかがわからないと怯えるのが一番辛いです。

 

再発が怖いという方のお話はたくさん聞きます。でも再発どころか今の状態がいつ崩れるのかがわからないというのは、本当に滅茶苦茶キツイですよ。毎回検査の結果を聞くのが怖いです。安心して病院に行く事はありません。

その為母の体調の変化に敏感になり、少しでも体調が悪そうにしているのを見ると、「悪くなったんじゃないか」と怯えます。

普段頑張っている母に、神様がご褒美として完治をプレゼントしてくれないかなと願っています。

 

 

7、最後に

とまぁ今年も色々ありましたが、今年の年末も何とか家族全員で過ごすことが出来そうです。本当に嬉しい。

2021年の正月は「来年の正月は家族全員で写真を撮れるかな」、「オリンピックを母と見たいな」と思っていました。そしてその目標二つはなんとかクリアすることが出来ました。私個人の目標を叶えることは出来ませんでしたが…(苦笑)。

 

本当に色々と苦しかった一年でした。それでも「何でもない日常に幸せがある」という一見ありふれた言葉を、実感を伴って感じた一年でもありました。

来年はもっと積極的な喜び・満足を得られるよう、頑張ります。

そして母が元気でいることを祈り、「母に希望を持ってもらえるような自分でありたい」、「先を楽しみと思えるようなものを母に見せたい」と思います。

 

今闘病中の人、家族が闘病中の人、辛い状況の真っただ中にいる人…

自分も含めてそのような人には、簡単に励ましの言葉をかけることは出来ません。でも「禍福は糾える縄の如し」という言葉を、私は信じたいです。出来れば早めに「福」が来て欲しいところではありますが…(笑)。

私と私の大切な人達、そして私の同志達の心身に健康と平穏が訪れますように。

 

今年一年間、本当にお疲れさまでした。

家族だからこその苦悩

皆さんこんにちは、もち丸です。

 

前回までの記事で時系列に沿った振り返りを終えました。今回は「家族が病気という立場故の苦悩」について書きたいと思います。

最初にお断りしておきますが、今回の記事は治療を行っているご本人は見ない方がいいかもしれません。

もしかすると「家族がこんなこと思っているなんてショック」、「治療を受けてるこっちだって辛いんだ!」と思うかもしれないからです。

 

ただ私は母のことを責めるつもりはありませんし、母のことを大切に思っています。そして母には長生きして欲しいと心から思います。

それでも「家族のことが大切だからこそ辛い」ということもあるのです。その為今回の記事はちょっとした「ガス抜き」のようなものです。

長文になっていますが、その点はどうかご容赦を...

 

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1、家族も苦しい

私は現在母と同居中です。その為母の闘病を毎日間近で見ています。

私は母の身体的、精神的苦痛を理解してあげることは出来ません。どんなに想像力を働かせても、やっぱり病気の辛さは体験した人にしか分からないものだと思うからです。

私は母を精一杯サポートしたいと思っています。でも病気自体の苦しさ、治療の苦しさ、そして様々な心や魂の苦しさ…

それらに真の意味で寄り添うことは、家族と言えども出来ないのかなと思います。

 

私は母の苦しみを実感を伴って理解することは出来ません。でも私達家族もやっぱり苦しいんです。「母の苦しさに比べたら私の苦しさなんて比較にならない」とも思いますけども。

私は母を責めるつもりはありません。それでも私達家族にも家族が故の苦しさというのが、やっぱりあると思うのです。

 

 

2、先行きが見えないのが辛い

私の母は肺がんステージ4です。出来ることなら手術で問題部分を全部切り取って欲しいと思いますが、現時点ではそれは難しく現在抗がん剤治療を行っています。

医師からは度々「治療の目的を間違えないでください。私達は完治を目指してはいないですからね」という言葉を聞きます。この言葉を聞くたびに私達は落ち込み、モチベーションも下がり、疲れ果てます。

 

今から書く言葉は人によっては不快感を感じるかもしれません。それでもあえて言うなら「手術という選択肢がある人が羨ましい」「完治を目指して治療が出来る人が羨ましい」と思います。

 

もちろんがんを含め病気の苦しさは人それぞれで、決して比較することは出来ません。

それでも完治という目標を持って治療に臨める人が羨ましくてたまりません。

完治という目標があれば、母も辛い治療を何とか踏ん張れるかもしれない。私達家族も完治という目標を共有し、励ましやサポートに臨むことが出来る。

やっぱり「完治を目指せない」というのは、想像以上に辛いです。いつ母の病気が悪化するかわからない。今の状態がいつまで続いてくれるかわからない。

終わりが見えないんです。でも本当の終わりも来てほしくない。

そして治療が進むにつれ、治療の選択肢が少なくなっている恐怖がある。いつ治療が出来なくなって緩和ケアを紹介されるのかという恐怖が常にあります。

 

私は人が苦しくて仕方ないのは、「今がきつい」、かつ「目標や希望が持てない」時だと思います。

その意味で現在はまさにその状況です。区切りがいい時がなく、毎日が緊張状態です。気持ちを緩める暇がありません。心から安心出来る日が一日も無いんです。

そういう意味ではまるでゴールの無いマラソンを延々と走っている気分です。正直疲れてきました。そりゃ頑張れないですよ。

母には長生きして欲しいと心から思います。でも母が治療を行っている間はこの緊張状態が続きます。

とは言え休み無しに走っていたら、どんなにタフなマラソン選手でも倒れてしまいます。その為患者本人だけでなくサポートする側も、ランナーとしてペース配分や休息の方法を意識して考える必要がありそうです。

 

 

3、母が辛そうなのを見るのが辛い

現時点でがん治療を始めてから3年程経ちます。現在出ている症状は、息苦しさ手足のむくみだるさ等いくつもあります。加えて抗がん剤治療も回数を重ねる程に体にダメージが蓄積しているようで、結構辛そうです。

そして少し体調が悪そうだと、「病気が悪化したんじゃないか」と不安になります。

特に母が特に苦痛を訴えているのは、肺炎後遺症の息苦しさです。幸い肺がん自体による息苦しさはそれほど無いそうですが、少し動いただけでも息が上がってしまい、家の階段を上がるのも一苦労のようです。

 

そして現在私は母と同居していることもあり、良くも悪くも母との距離がとても近いのです。そのことはもちろん幸せなことでもありますが、距離が近いからこそ苦痛な時もあります。

 

そしてもう一つ、私は父のことも心配です。

母の病気が発覚したのは父が仕事を引退した直後でした。元々友人もおらず趣味もほとんど無い父です。その為今は意識の全てが母に向かっていて、母との距離感が近くなりすぎている気がします。

もちろん100%善意から来ているものなのですが、それでも距離が近すぎるとお互いに圧迫感を感じ、息苦しさを感じてしまう危険性があります。

私も父も、適度な距離感を大事にしていきたいものです。

 

 

4、罪悪感が辛い

これはまた別の記事で詳しく書こうと思っていますが、私には「母ががんになった一因は、自分が心配をかけ続けてきたからではないか」という思いがあります。

私はなかなか自分の立ち位置が落ち着かず、ずっと心配をかけ続けてきました。その為母はずっと心労を持ち、常に交感神経優位状態が続いていたのではないかと思います。その為に母の免疫力が落ち、がんになったのではないかと思ってしまうのです。

 

この点については以前紹介したがん患者コミュニティサイト「5years」や、精神腫瘍科で相談したことがありますが、皆が「そうではない」と言ってくれました。

それでも

「自分がもっとしっかりとしていれば、母は楽に生きられたのではないか」

「自分が例えば孫を見せてあげられていたら、治療の支えになれたのではないか」

と思う事があります。

人から「それは違うよ」と言われても、どうしようもなくそう思ってしまうんです。

色々な人が「あなたが楽しく幸せに生きることが一番の親孝行だよ」と言ってくれましたが、この棘のように刺さった罪悪感はなかなか無くなってくれません。

 

 

5、サポート自体が大変

このことは書くかどうか正直迷いました。

私は精神的・物理的に母にとてつもなくお世話になり、たくさんのものをもらいました。現在のサポートを勘定に入れたとしても、とても返しきれない程の恩です。

だからこそこのようなことを書くと恩知らずというか、非常に申し訳ない気持ちになります。

でもここでガス抜きして、またしっかりと母をサポートする為にも、書いてみたいと思います。

 

①病院付き添い

母は現在定期的に複数の病院に通院しています。そして通院時は、父と私で毎回車で送迎をしています。

ただこの点に関して一つ心配なことがあります。私は今は平日母の通院に付き添うことが出来ますが、当然私は就職をするつもりです。そうすれば診察の付き添いを、ほとんど父に任せることになってしまいます。父も加齢により体力が落ちてきていますし、絶対に「疲れた」とは言わず、弱音を吐いたり誰かに相談するということをしない人です。その為父の負担がとても心配です。

 

②母の病院嫌い

母は元々病院嫌いということもあり、がん治療以外の病院にはあまり通院してくれません。(眼科、耳鼻科等)

「もうこれ以上病院には行きたくない」そうです。確かにその気持ちも分からないわけではないのですが...

ですが問題の発見が遅れてしまうと、後でもっと大変な思いをすることになります。それは母はもちろんのこと、それをサポートする家族もなんですよね。どうしたものか...

 

③家事

今更ながらでお恥ずかしいですが、家事を含む家仕事は本当に大変ですね。

特に料理に関しては、私は簡単な料理しか出来ません。昔社員寮暮らしだった時も、寮母さんが食事を作ってくれていましたし...(言い訳)

今は昼食は私担当の為、「どうすれば母に栄養を摂ってもらえるだろう」と毎日悩んでいます。少しずつレパートリーを増やしてやるぜ!

 

④余計なお節介?

これは「患者家族あるある」かもしれませんが、過剰な心配をすることで、却って母の負担になっているかもしれないと思う事が多々あります。

例えば栄養のある食べ物を勧めたり、体力が落ちた人でも出来るような運動を探しては、何とかやってもらおうと試みます。

 

でもまるで「北風と太陽」で、こちらが力めば力む程、母は受け入れてくれません。

例えば母は元々貧血気味ですが、抗がん剤治療によって更に貧血が酷くなっています。

医師や薬剤師からも「息苦しさには貧血も影響している」と言われている為、私としても鉄分をしっかりと摂ってもらいたいと思います。

その為例えばミロを勧めてみても、ほとんど飲んでもらえません。味が気に入らないそうです(泣)。「ミロなんて牛乳に溶かして飲むだけなのに」と思ってしまうのですが...

 

もちろん母には何を食べるのかを自分で決める権利があります。でも病気自体はすぐに解決出来なくても、貧血なら多少改善出来る可能性があるのにと、正直イライラしてしまいます。

家族って距離が近いからこそ、意地や押しつけが入ってしまうことってありますよね。

どうしたらお互いに良い距離間を保ちつつ、母にとって良いサポートになるのだろうと悩みは尽きません。

 

 

6、コロナがうっとうしい

何と言ってもこのコロナは、色々なことを面倒にしている存在です。もうコロナという存在が見えるのなら、ボコボコにして世の中から抹殺したいと思います。

ただコロナに関しては別記事でゆっくり書くつもりなので、今回は軽くにとどめます。

 

母は肺がんです。さらには肺炎の後遺症がある為、当然コロナによる重症化リスクはかなり大きいです。その為母にとってコロナは命取りになりかねません。更に外出時は常にマスクをしている為、息苦しさが増してしまうようです。

 

更には父が重度の喘息ということもあり、私はかなりコロナに関して敏感になっています。

「絶対にうつすわけにはいかない」と思い、外食は去年の3月から一度もしていませんし、友人とも去年の11月から一度も会っていません。また趣味のバドミントンも自粛しています。

ただ私が過剰になっているのは認めますが、姉はスポーツや習い事等を続けている為、正直腹が立ちます。いくら家族全員で気を付けていても、一人がリスクある行動をしていると、家族全員の感染リスクが上がってしまうからです。

ただこれはどちらの感覚が正しいかとは言えない問題なので、非常に疲れます。姉は姉なりに気を付けているんでしょうが...

 

それと私自身色々な経験を得ようと行動を増やしたいと思っていますが、感染リスクを考えるとなかなかアクセルを踏み切れないというジレンマがあります。

元々出不精気味の母は、買い物以外は家にいます。確かにコロナ禍においては行動自粛は大切ですが、このままでは益々体力が低下してしまいます。

本当にコロナさえなければと思わずにはいられません。コロナさえなければ母を色々な場所に連れて行ってあげるのに...

 

 

7、最後に

このテーマに関しては正直いくらでも書けます。でも長すぎると誰も読んでくれないと思いますので、これでも削るのを頑張りました。

 

今回は家族としての苦悩を綴りましたが、母も色々なことを考えているのだろうなと思います。母は私の見える範囲では取り乱したりはしませんが、母の心情を思うといたたまれなくなります。私と違って弱音を吐かず人に相談しない母は、どうやって心のバランスをとっているんだろうと心配になります。

 

でも私は母をサポートしつつも、自分の人生を進んでいかなければならない。

「意識して」楽しいことをして、「意識して」ゆっくりすることを自分に許したいと思います。そして「千里の道も一歩から」を胸に、おっかなびっくりの小さな一歩で進んでいきます。

母は自分を責めていない。誰も自分を責めてはいない。何かをするのに、あるいは何もしないことに罪悪感を感じたとしても大丈夫。

罪悪感を捨てることが出来ない自分を責めなくてもいい。そして心が感じたことを大切にしながら、母との長い道をゆっくりと歩いて行きたいと思います。

抗がん剤治療 「ドセタキセル」+「サイラムザ」

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

ちょっと本題に入る前に愚痴なのですが、最近ちょっと耳鳴りが気になる頻度が上がっているんですよね~。

私は10年程前に突発性難聴になった際、聞こえは戻ったものの後遺症として耳鳴りが残ってしまいました。以前MRIで検査もしましたし、定期的に耳鼻科で健診も受けています。今回も耳鼻科で検査しましたが、異常も聴力低下も無いとのこと。怖い病気じゃないことは良いのですが、やっぱりうっとうしいです。

 

原因として個人的には、見え方の調整不良による首・顎周辺の凝り、そしてストレス、寒さ等が影響しているんじゃないかなと思っています。ただこれらの要素はなかなか無くらないんですよね~。

それに耳鳴りは「無くそう、無くそう」と思うと、余計気になってしまうものですから、「治すというより付き合っていくもの」と捉え、なんとか敵視しないような状態になれればなと思います。

 

さて本題に入りますが、前回の記事ではアブラキサン治療から別の治療に変わることが決まったところまでを書きました。

今回はその続きになりますが、今回の記事でようやく時系列が現在2021年12月に追いつきます。それでは本文に入ります。

(※2022年1月11日 副作用欄に追記あり)

 

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1、ドセタキセル+サイラムザ

さて今年2021年の8月、アブラキサンの薬効や供給停止問題等を踏まえ、次の治療にうつることになった母。この次に使う抗がん剤ドセタキセル「サイラムザの二つです。

これは二つとも点滴タイプの抗がん剤で、点滴は4週間に一度というサイクルです。

 

ただ今年の5月頃に肺炎が治ってから、「TS-1」、「アブラキサン」と2種類の抗がん剤を試しましたが、いずれも効果が薄かった為、今回も期待よりも不安の方が強いというのが本音です。(※正直アブラキサンには効果があったと思っていますが)

それに使える抗がん剤の選択肢が少なくなっている感があり、とても怖いです。「また効かなかったらどうしよう。そのうち治療が出来なくなって、緩和ケアに入りましょうと言われるんじゃないか」と考えると怖くてたまりません。

私はそんな不安な気持ちを持ちながら、この治療に臨むことになりました。

 

 

2、骨髄抑制に注意!

さてこの治療を始めるにあたり、先生から特に注意が必要なことがあると言われました。それは「骨髄抑制=白血球数低下の危険性」です。

ただこの薬に限らずほとんどの抗がん剤は、白血球数低下等による免疫力低下が副作用としてあります。ただ今回の治療はこれまで以上にこの免疫力低下に気を付けなければならないとのことです。

その為その対処として、抗がん剤点滴の翌々日にジーラスタという注射を打つ治療がセットになりました。

免疫力が低下するのは抗がん剤投与後、大体1週間から2週間位の間なのですが、今回からはジーラスタ接種により、予め白血球を増やすという先手を打つわけです。

 

この注射は接種自体は1分程で終わるのですが、その副作用が結構強烈なようです。

注射自体も痛いらしいのですが、母の場合は打った翌日は少し発熱し、それから1週間程腰や背中がかなり痛むとのことです。

私達の体の血液は骨髄で作られます。そしてこのジーラスタは骨髄に「白血球とかをたくさん作れ」と強く働きかける為、それだけ強い反動があるということなのでしょうね。

母は痛みが酷い時はロキソニンを服用していますが、完全に痛みが無くなるわけではなく、何とか痛みが強い期間が終わるのを待つと言った感じです。

今回の治療において最初の2サイクル(4週間×2)は、ジーラスタの効果と抗がん剤の副作用を確認する為、抗がん剤を打った翌週に診察を受けましたが、どうやら順調にいっているらしく、3サイクル目からはその確認の診察は無くなりました。

 

 

3、副作用について

さて今回の治療の副作用ですが、今回どの副作用がどちらの抗がん剤の副作用なのかということについては、判断が難しいところであります。その為この章では「全体としてこんな副作用が出た」という感じで記載していきます。

 

①味覚変化

味覚変化が強く出たのはタグリッソ以来だそうです。母は大味以外の繊細な味(出汁等)が分かりにくくなったと言います。その為「甘い」、「塩辛い」がハッキリした味や食べ物を好むようになりました。その為最近は菓子パンやお菓子等ばかりを食べています。

 

②粘膜が弱くなる 

特に顕著なのが「鼻血」と「口内炎」ですね。ただ鼻血に関しては血栓治療の為の「血液をサラサラにする薬(エリキュース)」も影響していると思います。

母は今年の4月頃足に血栓が出来てしまい、それ以来上記薬を服用しています。その為出血しやすく、止血しにくい状態になっています。母は幸い大事にはなりませんでしたが、がんになった人は血栓が出来やすいようで、気を付けないと肺血栓や脳血栓になる危険性があるそうです。その為血栓防止の為に適度な運動と水分補給は大事だとのこと。(そんなん最初に説明してくれなかったぞ!)

ただ出血に関してはどちらかというとサイラムザの影響が大きいようです。

最後に口内炎については「新しいのが出来てはすぐ治る」というのを繰り返しているようです。

 

③脱毛

やはりこの治療でも脱毛は避けられませんでした。以前アブラキサンによる治療を4クール(1週×4回)行い脱毛が始まっていましたが、この治療により更に脱毛は進んでしまいました。まつ毛、眉毛も抜けてしまい、今は前髪が少し残っている状態です。

 

④吐き気

吐き気もしんどそうです。母の場合はご飯を食べることは出来るものの、食べた後は必ず気持ち悪くなってしまうようです。母はたくましく「気持ち悪くなる前に食べる!」といい、凄いスピードでご飯を食べています(笑)。

 

⑤内出血しやすくなる(追記あり)

これは②と少し被っていますが、粘膜に加えて内出血しやすくなったようです。ちょっとぶつけたところがすぐ内出血するようで、皮膚や爪が全体的に薄くなったようです。

特に外反母趾の部分が靴やスリッパに当たって痛むようで、この感覚は「タグリッソの時と似ている」とのことです。

 

※2022年1月11日 追記分

ここ1週間程、足先の出血、変色、傷が酷くなってきました。

特に入浴後は30分程出血が止まらない事もあり、普通に歩くことも苦労する状態です(エリキュースも関係あり)。

翌週に病院診察があるのですが、3連休中を何も処置無しで過ごすことが難しいと考え、急遽病院を受診することにしました。

本命は皮膚科と考えたのですが、その日近くの病院で皮膚科が空いている所が無かった為、とりあえず大きな病院に行き、窓口で状況を説明・相談しました。

その結果形成外科を案内してもらい、傷の処置と薬の処方をしてもらうことが出来ました。

足の痛み・出血は「タグリッソ」の時もありましたが、この「ドセタキセル」はそれ以上のように感じます。

 

 

4、治療の効果について

さてこのドセタキセルとサイラムザの治療を、4サイクルしたところで全身CT検査をしました。

私は今年の初めに母が肺炎になっての治験中止や、治療再開後も望ましい結果が得られなかったことから、不安の方が期待よりもはるかに大きい状態でした。

 

ですが嬉しいことに、治療効果が出ているとの検査結果が!!

原発巣の肺部分はそれほど小さくなっていないようでしたが、リンパ節(脇下と鼠径部)は小さくなっているとのことでした。治療の効果があると確認出来たのは、去年年末の最後のアリムタ治療の時以来です。

さらに咳は続いているものの、肺炎が悪化していないことにも一安心です。

 

ですが結果を聞いた時、正直私は嬉しさよりも不安を強く感じてしまったのです。

「母の体はかなりダメージを受けている。この治療いつまで出来るんだ。それに母さんは喜んでいるのだろうか。母さんがあまり喜べていないとしたら、横で俺が喜んでいいのだろうか」ととっさに思ってしまったのです。

でも今後どうなるかはともかく、今喜んでいいんですよね。先生から完治は期待出来ないと言われ、一喜一憂しない方がいいと言われても、やっぱり喜びたいです。というか喜ばせてくれよ。それくらい望んだっていいだろうと思いました。

 

ただ診察後の抗がん剤点滴について問題が一つ。

先生に「この治療を始めてから鼻血が良く出る」ということを伝えたところ、先生は迷った結果、今回はドセタキセルのみの点滴となってしまいました。どうやらサイラムザが出血に関係している可能性があり、元々貧血気味という要素を考慮した末の決断だそうです。

母は「大丈夫です。受けたいです。一つだと効果が落ちますよね?」と聞いたところ、先生は「一番大事なのは〇〇さんが元気になることなんです。がんがあってもすぐは死なないけど、出血が続くと体は一気に弱りますから」ということでした。

うーん、まぁ確かに正論なんですけどね~。正直モヤモヤしましたが、「確かに一理あるし今回はしょうがないか」と納得しました。

せめて一つ減った分、少しは体が楽になるといいなと思います。

 

 

5、最後に

さて今回の記事で、ようやく時系列が今に追いつきました。

ただ改めて記事を振り返ってみると、私の記事は一つあたりが結構長いな~と思います。これでもだいぶ削っているんですけどね。(笑)

 

今後は「書きたいテーマごと」、あるいは「日々の治療の様子や思った事」を書いていくつもりです。書きたいテーマはたくさんありますが、あくまでマイペース、緩やかな更新にするつもりです。

 

今年も残り少なくなってきました。私は今大きな焦りや罪悪感を持っています。でも罪悪感は消えずとも罪悪感を持つ自分を許したいと思っています。

私も母も皆様も、どうか平穏な時間を過ごせますように。

抗がん剤治療再開。「TS-1」と「アブラキサン」

こんにちは、もち丸です。

 

この記事を書いているのは2021年11月なのですが、なんとなく年末の気配を感じるようになってきましたね~。焦る!!

私は自分の立ち位置が落ち着いていない今の状況では、誕生日や年末等の節目は出来たことよりも出来なかったことが目立つので、精神的に落ち着きません。

しかもこの時期は寒くなっているので体の凝りも酷く、体が凝ると心も固くなる感じがします。

来年こそはと祈りを込めつつ、今日出来ることを一つずつ大切にやっていこうと思います。

 

さて前回は母の肺炎が落ち着くまでの経緯を説明しました。今回はその後の治療再開からをまとめております。それではご覧くださいませ。

 

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1、治療再開!「TS-1」服用

治療再開となった母ですが、提示された抗がん剤「TS-1」という飲み薬タイプの抗がん剤でした。これは以前治験を提案された時に、もう一つの選択肢として提示されたものとは別の抗がん剤です。

理由としてこのTS-1は抗がん剤の中でも、比較的肺炎発症リスクが低いからだそうです。母の場合肺炎の後遺症が残っている為、まずはこちらの抗がん剤を試すことになりました。

ちなみにこのTS-1は脱毛の副作用はありませんでした。

 

ただこのTS-1の治療は残念なことに、わずか1ヶ月で終了することになってしまいました。服用してから1ヶ月後の全身CT検査で、効果が無いと判断されてしまったのです。せっかく治療再開出来たのに、それは無いよと思います。

抗がん剤の効果は究極やってみないとわからない面がありますが、やっぱり期待を裏切られるのは辛いです。現状手術が出来ない以上、私達にとって抗がん剤は最後の望みなのですから。

 

 

2、抗がん剤「アブラキサン」

TS-1の治療が終了し次の治療に移ることになりましたが、治療が進むにつれ薬の選択肢が少なくなっている恐怖を感じます。

「なんで薬の耐性が出来てしまうのだろう。ずっと効いてくれればいいのに」と思わずにはいられません

やはり治療においては完治を目指せるという希望が欲しいです。もちろん医療の世界は日進月歩。治療によって長く生きていけば、新たな治療が受けられる可能性も出てきます。そうして新たな治療を受けられるようになった結果、今も元気にしている人もたくさんいるはずです。

 

さて本題に戻りますが次に提示された治療は、アブラキサンという点滴タイプの抗がん剤です。これは以前治験と共に提示された、本来使う予定だった抗がん剤です。

ただこの抗がん剤点滴を1週間に1回打つというサイクルなのです。以前行なったアリムタ+カルボプラチンは4週間に一度というスパンでしたので、ハッキリ言って物凄く大変です。

しかもこのアブラキサンは脱毛の可能性が非常に高いそうです。

これまでは脱毛が出ないタイプの抗がん剤を使えていましたが、先生曰く「がん治療を続ける限り、どこかのタイミングで脱毛する抗がん剤を使う時が来る」とのことでした。

 

 

3、天秤にかけることは出来ない

髪の毛が抜けてしまう。治療の為とは言え、母にとってショックなことだと思います。

父は「治療の為だもんな」と言いますが、こういうのって「命の為だから仕方ない」というような、天秤にかけられるものではないと思います。

 

髪の毛って人によってはアイデンティティの意味を持っている場合もあります。母にとっても髪の毛は結構自慢の部分のようでした。母は度々美容師さんから「毛量も多くて素敵な白髪ですね」と褒められていたそうで、これまで髪の毛を染めたことは一度もありません。そんな自慢の髪の毛、体の一部分を治療の為とは言え失ってしまう。私は本当に心が痛いです。

 

それと帽子は被るもののやはり人目、特に近所の目が気になってしまうんじゃないかということも心配です。

しかも良く言われるのが「治療が終わればまた髪の毛は生えてきますよ」という言葉。正直私にとっては腹の立つ言葉なんです。

だって母に治療の終わりは無いのですから。この薬が効く限りは使い続ける。でもその間は髪の毛は生えてこない。髪の毛が生えてくることは薬が終わることを意味する。そんなの辛すぎます。

でもこの治療が上手くいってくれれば母の辛さも少しは報われる。そんな思いを込めて治療に臨みました。

 

 

4、アブラキサンの効果は...

さてアブラキサン治療について、まず始めに脱毛の点をお話します。

治療を開始した最初の1週目に脱毛はありませんでした。ところが2週後の半ば頃から、お風呂で洗髪をすると髪の毛が大量に抜けるようになってきたのです。それからは頭を手でさするとごそっと髪の毛が抜けるようになっていました。

当事者である母にとってはもちろんショックだったと思いますが、それを近くで見ている家族も結構辛いものです。私は「その代わり薬が効いてくれるといいね」という言葉をかけるのが精一杯でした。

 

治療効果については3週間程経った頃、効果を感じさせる兆しが見られました。なんとリンパ節部分のしこりが小さくなっているというのです。触ってみて明らかに小さくなったのが分かるようで、これは効いているんじゃないかと私は久々に希望を持ちました。

ところが一か月後の診察で、私達は思いがけない言葉を聞くこととなりました。

 

「あまり効果は出ていないようです。しかもアブラキサンは外国の製造工場で問題が起き、しばらく供給停止になるようです」と。

 

私はそれを聞いて「は~?この先生何言ってんだ?」と思いました。

まず効果が出ていないということに関しては納得出来ませんでした。先生にもしこり部分を確かめてもらい、小さくなったことは確認出来たのですが、画像や血液データには改善は見られないとのことなのです。

ただこれだけならもう少し治療を続けてみようという話らしいのですが、どうやら製造元の工場で何らかの問題が発生し、その精査・改善の為、当面供給が停止されることが影響しているとのこと。

 

このアブラキサンは様々ながん治療に使われている薬で、がん種によっては一次治療にも使われているそうです。もちろんすぐに病院の在庫が無くなるわけではありませんが、他に治療選択肢が考えられる患者は、当面このアブラキサンが治療選択肢から除外されてしまうとのことです。

そしてアブラキサンには似た薬効を持つ薬があるものの、アブラキサンの供給停止によってその薬の需要が大きく高まり、そちらの安定供給にも問題が発生する可能性があるとのことでした。

それらの要素を総合的に判断して、母には次の治療に移ることが提案されたのです。

 

母はリンパ節部分が小さくなっていたこともあり、もう少しアブラキサン治療を続けたかったのですが、次に使う薬も先生からは効く可能性が大いにあるという話を聞いた為、その提案を受け入れました。

 

 

5、最後に

母が肺炎になってからは本当に激動の日々でした。本当に心落ち着く暇がありません。加えて重症化リスクの高い母にコロナをうつさないよう、細心の注意を払っている為、かなり気を遣う毎日です。

更には私自身の転職活動。行動を広げようにも感染リスクが怖く、アクセルを踏み切れません。でも自分の為の行動をしないと、私自身の人生が動かない。もう八方塞がりの気分です。

期待しては裏切られ、また希望を見出しては叩きのめされ…を繰り返している気分です。本当によく頑張っていますよ私(笑)。

 

このように私は弱音吐きまくりなのですが、母は私の見えている範囲では取り乱したりはしません。でもやっぱり治療自体大変だと思いますし、思うように体が動かないことに対する不甲斐なさ・悔しさも感じていると思います。それに辛い副作用に見合う治療効果が出ないことは本当にキツイと思います。正直母の本心を推し量ることは出来ません。

でも母には生きていて欲しいのです。まだ何にも返せていない。それに長生きしてくれればそのうち画期的な治療法が開発されるかもしれない。

副作用に苦しむ母を見るのは本当にキツイですが、母には生きて欲しい。出来れば母が将来を楽しみになれるような何かを自分が見せたい。

 

でも多分私が楽しく幸せに日々を過ごそうとすることが、母に対する恩返し&免疫力UPになるのでしょうね。悲壮感のある目で心配しても、母にとって嬉しいとは思えませんし…

なかなかそうした心境になるのは難しいのですが、「意識して何か楽しいことをしたいなぁ」と思う今日この頃です。

 

最後に、「今がんと闘っている人とそれを支える全ての方に、状況の好転と心身の平穏をお祈り致します」

母が肺炎になってしまった!

こんにちは、もち丸です。

 

前回の記事では「アリムタ」+「カルボプラチン」の治療が終わり、次の治療を決めるというところまで書きました。ちなみにそれは今年2021年の2月頃の話です。

そしてその際二つの治療選択肢が提示されたところまで話しました。

今回はその続きの話になります。

 

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1、簡単に決められるわけがない

さて私達に提示された治療選択肢は二つです。まず一つは予め想定されていた別の抗がん剤を使うこと。そしてもう一つは新抗がん剤治験を受けることです。

この時主治医から一通り説明はありましたが、「どちらにするかはあなた達の自由ですよ」と言われました。

私達が「どちらが今の母にいいと思いますか?」と聞いても、「どっちでもいいですよ」とのこと。

 

でもこんなん言われても普通すぐに決められないですよね。だっていくら知識を調べても私達は素人ですし、治療の結果がどうなるかは医者以上にわからない訳です。

医者に対して「責任をとってくれ」、「全部決めてくれ」とは言いません。それでもそれぞれの治療のメリット、デメリットを説明したうえで、「一緒に考えましょう」という姿勢をとって欲しかったです。

 

私達は不安なんです。怖いんです。一緒に話をして結論を出したいです。

ただでさえ苦しいのに突き放されたような態度を感じると、たまらなく辛いです。

先生にとっては大勢の患者の内の一人にすぎないかもしれません。でも私達にとっての母はかけがえのない代わりの利かない存在なんです。

 

ただ意外にも母は「治験に参加する」とその場で発言しました。

「考えてもわからないから新しいのがやりたい」とのことでした。

私は「ちょっと待ってくれ!」と慌てましたが(笑)、確かに通常の抗がん剤治療は後になってからでも出来ますが、治験はタイミングを逃すと受けたくても受けられない可能性があります。

その為私達は母の気持ちを尊重し、その場で治験参加を決めました。

 

 

2、治験参加に向けて

さて治験参加を決めた私達は、その日のうちに治験コーディネーターと面会しました。

治験コーディネーターとは治験の説明、進行、製薬会社との日程調整等、治験に関する進行・調整役のような存在です。

担当コーディネーターは私の質問攻めにも丁寧に対応してくれ、とても好印象でした。

そして治験に入る前には体全身の検査が必要だという事を知りました。

 

治験とは患者サイドにとっては新しい可能性ですが、製薬会社にとっては薬の実用化、製品化に欠かせないプロセスです。つまり検査によって治験参加者の健康を守るのと同時に、企業はより詳細なデータを得る必要があるということですね。

そして治験に関する詳しい説明とスケジュールを確認し、私達は期待と不安を胸に帰りました。どうか上手くいってくれますようにと祈りました。

 

 

3、治験参加のはずが…

さて治験開始日が近づき、数々の事前検査を受けていた時のことです。主治医からの言葉に私達は大きなショックを受けました。

「肺炎になっています。治験への参加が出来なくなりそうです」と。

恐らくは薬剤による間質性肺炎だろうということで、幸い程度は軽いとのことですが、そのせいで治験に参加出来なくなってしまったのです。

 

通常の治療であれば肺炎が治れば再開出来ますが、治験参加の為にはいくつもの条件があり、肺炎を発症した母はその条件を満たすことが出来なくなってしまったのです。

「マジかよ、このタイミングでかよ」と泣きそうになりました。せっかく抗がん剤の効果が落ちたショックから前向きになれてきたところなのに…

病気治療に対して「何とか前向きになる→打ち崩される」を繰り返していると、心身共に疲れてきます。当事者である母はもちろん、家族も打ちのめされます。

 

ただ元々肺にダメージがある母にとって、肺炎は命取りになりかねません。その為私達に選択の余地はなく、当面は肺炎治療を最優先とすることになってしまいました。

 

 

4、肺炎治療

治療に関してまずは抗生物質を服用することになりました。ところが抗生物質を2週間ほど服用しても、あまり良くなりません。

そこでその次にプレドニンという副腎皮質ホルモン製剤、いわゆるステロイドを使う事になりました。この薬は効果が高いものの、急に止めることは出来ない薬です。その為少しずつ量を減らす必要がある為、この間のがんの進行が心配でした。

 

肝心の治療経過に関してですが、服用して1週間程経った頃でしょうか。それまで頻繁に出ていた咳が治まってきました。そして発熱も治まり、明らかに母の調子は良くなっているように見えました。

 

ただこのプレドニンは多くの副作用が出る可能性がある薬です。やはり効果が高い薬は、その裏側である副作用も強く出るのでしょうね。

母の場合は①血圧上昇(上150程)ムーンフェイス(顔が真ん丸)の症状が出ました。

それともう一つ。良いか悪いかは別として、食欲増進作用が大きく出ました。三食のご飯だけでは足りずに間食を食べる程です(笑)。明らかに副作用ではありますが、ご飯をモリモリ食べる母を見て、私達家族はとても嬉しくなりました。

そして肺炎治療開始から約4か月程が経った頃、何とか治療を開始出来るレベルまで肺炎は回復しました。

 

 

5、ようやく治療再開!

ただ私達が一番心配だったのは、この肺炎治療中にがんが悪化していないかということです。

ところがその点については予想外の結果でした。なんと治療を行っていないにも関わらず肺部分は悪化せず、リンパ節に至っては小さくなっていたのです。本当に人間の体って不思議なものだなと感じました。

 

ただ肺炎による影響は治験中止だけではありませんでした。後遺症として息苦しさが残ってしまったのです。これはあれから半年程経った今も消えず、これを境に治療や生活のバランスが大きく変わってしまいました。

少し動いただけでも息切れし、階段の上り下りといった日常生活にも苦労するようになってしまいました。息切れした時にパルスオキシメーターで酸素濃度を測ると90を切ることもあり、先生に相談すると「改善には酸素ボンベを着けるしかない」と言われてしまいました。(そんな簡単に酸素ボンベなんて言うなよ!)

 

肺炎になる前も副作用で辛かった母ですが、それでも治療前と変わらない日常生活を送れていました。

ただ今回息苦しさが出たことによって、行動量がかなり減ってしまったのです。そうすると体力が低下し、ますます体を動かしにくくなるという悪循環に入ります。

治療をどこまで続けられるかは体力が重要ですし、生活の質そのものにも直結します。

せめて息苦しさが少しでも軽くなって欲しいと願わずにはいられません。

 

とは言えがん治療は「行うリスク」「行わないリスク」両方があります。そしてそれらを天秤にかけ、私達は抗がん剤治療を再開することとなりました。

 

 

6、最後に

それにしても肺炎がこんなに厄介なモノだとは思いませんでした。「肺炎」って「肺」に「炎症」が起きるという言葉ですよね。私は正直そこまで苦労せずに治りそうなイメージを持っていました。

でも肺炎は高齢や持病等により体力や免疫力が落ちていると、命の危険もあります。更には治りにくさや後遺症に繋がる可能性も高まってしまいます。

 

それにしても治療も人生もなかなか思うようにいきませんね。心の底から「肺炎にさえならなければ」と思います。あの肺炎から全てが狂ってしまった...

でもそれを言えば「母ががんにならなければ」、「あの時~でなければ」というものには、キリがないんですよね...

 

結局はこれからの問題全てを解決する究極の決断というものは無いのだと思います。

その時その時ぶつかった壁や問題に対し、その時その時「よりベターな」行動や決断をするしかないのかもしれません。

しかも最善の選択をしたと思っても、その結果が最善のものになる保証はどこにもない。でも決断しないわけにはいかない。時間は待ってはくれない。本当に辛いです。

 

とは言え誰にとっても決断は避けては通れないものです。

私も少々スタートが遅くなってしまいましたが、今からでも選択と決断を自分で出来る人生を歩んでいきたいと思います。