皆さんこんにちは、もち丸です。
最近の気温差は酷いですね。寒がりの私は体が追い付かず、自律神経がぶっ壊れています。お腹もすぐにゴロゴロとなりますし、花粉も飛ぶわで苦手な季節です。
今日は「母が亡くなってから1年経った心境」を書いていきます。
母が亡くなってからは心境も環境も不安定でしたが、1年が経つと心境にも変化が出てきました。今日はそのあたりの気持ちを吐き出したいと思います。
1、母が亡くなって1年
母が亡くなってからはずっと落ち着かない毎日でしたが、8月に資格試験があった為、輪をかけて忙しくずっとバタバタしていました。そんなこともありずっと落ち着かない日々でしたが、最近ようやく一区切りがついたところです。とはいえ色々と心配事が多く、のんびりとした気持にはとてもなれそうにないのですが。
特に8月は資格試験と母の1周忌法要が重なり疲労はピークでしたが、何とか倒れずに乗り切ることが出来ました。
残念ながら試験結果はあと少しというところで不合格でした。全力で臨んだのでしばらくは疲れと悔しさで抜け殻のような状態でした。
最近は少し落ち着いてきてまた来年に向けて頑張ろうと、少しずつ思えるようになりました。
それにしても母が亡くなってからの1年は、長いのか短いのかがよくわかりません。最近は亡くなった直後に感じていた強烈な悲しみは少なくなりましたが、寂しさや後悔、絡みつくような虚無感を感じることがあります。激しい感情でないぶん、長く自分にまとわりついている感じです。そして自覚出来ていないような疲れも感じます。
試験勉強に全力で取り組んでいた分気が紛れていた部分もあったのだと思いますが、解消の仕方がわからない疲労が常にある感じです。
母が亡くなってからは生活の全てが変わり、今は母がいた時の幸せをとても懐かしく切なく思い出します。
2、一周忌を終えて
母の葬儀等に関しては当初の予定とは変わり、様々な事情から1周忌に納骨することになりました。私は当然のように一般的な仏教の様式に合わせた流れで母を送り出すと思っていましたから、正直これで良かったかはわかりません。ですが結果としてしっかりと母を送ることが出来たのかなとも思います。
家からお骨がなくなり寂しい気もしますが、1周忌にはお坊さんにしっかりと送っていただいたので、少しは気持ちを整理することが出来ました。
私は普段特定の宗教を信仰しているわけではありません。それでも亡くなった後の初七日や四十九日等の正規(?)の儀式をやらなかったことに対して、「これで本当によかったのかな?」という気持ちがありました。
それでも1周忌にお坊さんにしっかりと1周忌法要をおこなっていただき、納骨した時には大きな区切りがついてしまったという、安心感のような寂しさのようなものを感じました。
母が亡くなった後納骨するまでに、家にお骨がある状態というのは不思議な気分でした。あるべき場所に納めていないという罪悪感がある一方で、出かける時に「母さん行ってきます」と「ぽん」とお骨の箱に手を当てるのが習慣になっていましたから。
そんなこともあり納骨すると寂しさを強く感じるのかなと心配していましたが、寂しさは思ったよりは小さく感じています。
1周忌の時にお坊さんに色々と質問したのですが、その際に「お母様はお墓の中にはいないと考えています。だからお墓に独りぼっちではありませんよ」と言われました。
それを聞いたおかげでお墓に行って帰る時に寂しさをあまり感じませんし、位牌を目印に母はいつでも家にいると勝手に思っていますので、お墓から家に帰ってきた時には、むしろ母の方が先に家に着いていると思っています(笑)。
ただ私は正直なところ「母はいつもそばにいる」という心境にはまだなっていません。実際に会えなくなって話せないわけですから。
でも少なくともお墓に母を一人置いてくるという感じはないです。それに母が眠るお墓は寂しい場所ではなく、景色もよく良い風が吹いている場所なので、もしかしたら母はそこでご近所付き合いをしているかもしれないなと思うこともあります。
もちろん会いたくて会いたくて仕方ないですし、苦しい気持ちでいっぱいでもありますが。
そんなわけで普段信心深くない私でも、1周忌を行なえたことはある種の安心に繋がりました。やはり宗教的儀式というのは生きている人にとって大切な区切りとなる、大事な意味を持つものだと思いました。
3、心が消化不良を起こしている
私は心配性です。その為以前は母や友人に自分の不安をよく聞いてもらっていました。ですがもう母に話しを聞いてもらうことは出来ません。
またコロナ前までは友人と話すことで気持ちを整理出来ていた部分が大きいのですが、コロナが始まってからは友人とほぼ会っていない為、その部分でも気持ちをうまく消化出来ていない気がします。
とはいえコロナってもうなくならないですよね?もちろん私も今のスタンスで今後もやっていくことには無理があることに気付いているのです。ということは行動範囲を広げたり、警戒度を少し緩めながらも「気を付ける」ということをデフォルトにするしかないんでしょうね。全くとんでもないストレスだぜ!
ただ私は元々人と話すことが好きなので、今の状況が精神衛生上よくないのはわかり切ってるんですよね。それでも「自分のせいで家族にうつり、最悪の事態になったら耐えられない」という恐怖心が強いのです。実際に父は高齢で重度の呼吸器疾患を抱えている為、「多分大丈夫」と楽観的に考えることが出来ないのです。
この気持ちは健康な友人にはなかなか伝わりませんが、今病気で治療中の方や身内に重症化リスクが高い人がいるという方には通じるのではないかと思います。
4、心境の変化
それにしてもまさか母が亡くなるなんて思いませんでした。もちろん親は自分よりも早く逝くということは頭ではわかっていたつもりですが、私は母が亡くなるまで奇跡を信じていました。客観的に考えるとどうやらそれは難しいということもわかっていたのですが、奇跡が起きた事例を知ると母にもその奇跡が起きてほしいと願わずにはいられませんでした。
「ステージ4からでも治った人はいる」、「緩和ケアに入ってから奇跡が起きた人がいる」...
そんな話を見聞きするたびに、「なんとか母にも奇跡が起きてほしい、人間には元々がん細胞を倒す力があるんだから、無茶な願いじゃないはずだ」と思いました。
その為母が「私が死んだら~」、「私がいなくなった後~」という話をするたびに、逃げたい気分になりました。今思えばもっと真剣に母の話を聴いてあげればよかったなと思います。
やっぱり大切な人って生きてるだけでもありがたいんですよね。生きていてそれが当たり前だと思っている時は、「もっともっと」と多くのことを望んでしまいますが、母の病気が進行する度に余計な思いがそぎ落とされて、「治ってほしい」⇒「長生きしてほしい」⇒「生きてくれるだけでいい」と願いがシンプルになっていきました。
昔は神社で「家族に長生きしてほしい」というお願いを見つけても特別なことは感じませんでしたが、今ではその願いの尊さが痛い程わかります。そしてそのような願いを痛切に願っている人が、今もたくさんいるんだろうなと思うとなんとも言えない気持ちになりますね。
5、最後に
母が亡くなってから少しずつ写真の整理をしていますが、今は母の写真を消すことに大きい抵抗を感じます。まぁ写真はたくさんあるので、大事な写真を残す意味でも整理は必要なのですが。
そんな時に思うのは「毎日当たり前のように母がいた時間のありがたさ」ですね。
それともう一つ思うことは、「もっと動画を撮っておけばよかった」ということです。
私を含め他の家族も動画はほとんど撮っていなかったんですよ。その為今手元にある母の動画は、私が撮った2、3本くらいです。
私は診察時に医師の許可を得てボイスレコーダーをとっていたので、音声ファイルはたくさんありますが、後から聞き返しても楽しい内容ではありません。
もちろん写真もいいのですが、動いて喋っている姿はとても貴重です。少しでも生前の母に会える気がするからです。今は動画を撮る機会はいくらでもあったのにと後悔しています。
当たり前のことですが、人は長く生きる程多くの人と別れることになります。ある意味で家族を亡くさない人はいません。一人亡くなるだけでこんなに辛いのかと思うと、今後が怖くなります。
でも誰もがこの現実から逃げることが出来ない。当たり前だけど残酷な真実です。それでも母からたくさんのものをもらった息子として、しっかりと生きていきたいと思います。
今日はこのあたりで。それでは失礼致します。