家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

苦しい時に自分を支えてくれたもの

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

母が亡くなって半年以上が経ちました。最近は一気に高まるような悲しみは少なくなりましたが、ジワジワと感じる寂しさが無くなることはありません。

「あ~、母さんともう会えないんだ」、「もっと色々なことを話したかったなぁ」等ですね。母と一緒に病院に行っていた日々が懐かしいです。

 

母が病気になってからは「治療」、「緩和ケア」、「緩和病棟入院」等、いくつもの段階がありましたが、今回は苦しい中で自分を支えてくれたものをご紹介したいと思います。

一つ一つは本当にささやかなものですが、間違いなく自分を支えてくれたものです。

 

 

 

1、出来なくなった気分転換

本題の「自分を支えてくれたもの」をご紹介する前に、コロナや看護の影響により出来なくなった、以前の私の気分転換法を述べていきたいと思います。

それは主に、

  • バドミントン
  • 友人とのお酒
  • 小旅行

です。

 

私はコロナ前までは少なくとも週に一回はバドミントンをやっていて、大会にも参加するほどの趣味でした。元々はテニス仲間に誘われたことがきっかけです。

ところがコロナが流行り始めてからは母にうつすのが怖くなり、私は徹底的に自粛するようになりました。その結果バドミントンへの参加はもちろん、友人との食事や会うことすら自粛していました。

また以前は山や海等に一人で行き、散歩したり、名物を食べたり、お寺に行ったりして解放感を味わうことも気分転換の一つでしたが、それもやらなくなりましたね。

 

私は元々体を動かすことと人と話すことが好きで、辛くても人と話すことが出来ればなんとかバランスがとれていました。でもそれが一気に出来なくなりました。

それでも自分がコロナを母にうつしてしまう怖さの方が、行動出来ないストレスより勝っていて、苦しいながらも自粛を続けたのです。

 

ですが感染対策を徹底するということは、「人との接触を減らす」ことであり、「移動を控える」ということです。

そうすることで確かに母への感染リスクを軽減出来ていたと思いますが、「このままだと自分は狂ってしまう」と本気で思いました。

また動きたくても動けないまま時間が過ぎていくことにも大きな怖さを感じ、「なんとかしないと」と、強く危機感を持つようになっていったのです。

 

 

2、どうすればいいんだ

とは言え行動範囲を狭め、人との接触を避けている状況では、なかなか気分転換は出来ません。

その時の自分は「社会と切り離されてしまった」と思っていました。「他の人はどんどん先に進んでいる、自分だけが動けていない」と。

そして母の状況に関しては奇跡を祈りつつも、希望を持つことが難しい状態でした。そしてコロナも終わりが見えない。本当に八方塞がりです。

 

そのような状況ですから、ポジティブになろうとしたり、楽観的になろうとしても無理でした。

辛く苦しい時期が短期間であれば自分を叱咤激励して、前向きになる方法も有効だとは思いますが、長期的な辛い状況ではこのやり方は危険です。ますます自分を追い込みかねません。

 

私は「せめてコロナさえなければ」と強く思っていました。私の周りにも入院中の家族がコロナに罹りそのまま亡くなってしまった人、そしてコロナに感染したせいで家族の最後に立ち会えなかった人等、苦しい思いをした人が何人かいました。

ただそのような生活をするうちに危機感や不安が極限まで高まり、「この苦しく制限された状況でも、何か出来ることはないのか」と、探しもがくようになりました。

 

 

3、今この制限された状況でもやるしかない

そして「確かに今はとてつもなく辛い、そして行動を大きく制限されている」と認めたうえで、「今この制限された状況でも、多分出来ることがあるはずだ」と考えました。

そして思ったことが、「くだらなくても心に浮かんだものの中で、出来そうなことをやってみよう」ということです。(なるべくお金はかけずに!)

その代わり「人から見たら変に思われそう」、「今の自分がこんなことをやっていいのだろうか」という周りを気にする目や罪悪感がありつつも、やりたいことをやることを自分に許すことにしました。

 

すると「本当にささいなこと、だけども確かに自分が楽しいと思えること」や、この状況でも自分が取り組めることがあることがわかりました。

 

 

4、私を支えてくれたもの

ようやく本題です。ここに挙げたのは一例ですが、笑ってしまう位ささやかなものが多いです。

 

  1. 国家資格の勉強
  2. 毎週発売される雑誌
  3. スマホゲームのイベント
  4. ゼルダの伝説」の新作
  5. 自宅での筋トレ、マラソン
  6. 読書

等ですね。

他にも「がん哲学外来」や「精神腫瘍科」等、色々なもののサポートを借りましたが、今回は「自分一人だけで完結出来る」点にフォーカスして書きました。

 

①国家資格の勉強

私はこの苦しい時期に、「この状況でもスキルアップをしたい」と考えるようになり、資格試験受験を考えるようになりました。

例え現実逃避の一種だとしても、やっぱり何か目標があってそれに向かっている時って、少し気が紛れますからね。

そして本屋で「受験資格があり自分が興味のあるもの、そして少しでも就活に有利そうなもの」を探すうちに、ある資格に興味を持ちました。

ただその資格は難関資格の一つなのですが、何を思ったのかその時は「これなら自分でも出来そうだ」と思ってしまったんですよね。今思うととんでもない資格に手を出してしまったと思いますが...(笑)。

 

そして毎日勉強することになりましたが、勉強している間は気も紛れますし、少しずつ自分が進んでいるという実感を感じることが出来るので、始めてよかったと思います。

辛く希望が無いと思っている時、少しでも希望を持つことが出来ると、世界の見え方が一気に変わります。

辛くてもそれが期限付きであったり、希望が見えている時には人は踏ん張れます。逆に今が苦しく、かつその苦しい状況に終わりが見えない時は地獄です。だからこそ辛く苦しい時にこそ、希望の持つ重要性を強く感じるのだと思います。

この選択が自分にとってどのような結果に繋がるかはまだわかりませんが、少なくとも母の看護を続ける中では自分を支えてくれたと思います。

 

②毎週発売される雑誌

私は日々のささやかな楽しみとして、毎週「少年ジャンプ」を購入しています。この雑誌は母が病気になってから購読し始めました。

掲載されている漫画にはお気に入りの漫画が複数あり、子供の頃と同じように毎週ワクワクしています。(笑)

以前母が病院に通院していたのは月曜日が多かったのですが、ジャンプの発売日も月曜です。その為母が「いつも悪いねえ」と言った時に、私は「ジャンプのついでだから気にしないでいいよ」と言うと、母は笑っていました。

「いい歳してジャンプ?」と言われそうですが、「楽しいんだから仕方がない!」と割り切っています。

 

スマホゲームのイベント

私は「fate grand order(以下FGO)」というスマホゲームをプレイしています。

私は他のスマホゲームを知らないので比較は出来ないのですが、このゲームでは現実の季節イベント(クリスマス等)にあわせて、イベントが開催されることが多いのです。

私は母が病気になってから、「今年の花見が母さんと一緒に見れる最後の花見かなぁ」等と考えることが多くなり、季節の移り変わりや行事のことを、しみじみ感じることが増えました。その為ゲーム内のイベントにも季節の訪れを感じて、感慨深く感じるようになりました。

 

そしてFGOファンはイベントの季節が近づくと、多くの人が行事前特有の「ワクワク・ソワソワ感」を醸し出すようになるので、私にはそれがなんだか楽しく、「ちょっとした連帯感」のようなものを感じています。

そんなこともあり、このゲームは日々のちょっとした楽しみになってくれました。

 

④「ゼルダの伝説」の新作

この項目については本気で書くといくらでも文章が書けるので、かなり我慢して抑えますね。(笑)

 

ゼルダの伝説」というゲームシリーズの最新作、「ティアーズオブザキングダム」が2023年5月に発売されました。私はこのゲームの前作「ブレスオブザワイルド」にとてつもない衝撃を受け、大げさではなく救われたとすら思っています。

前作を購入したのはちょうどコロナが流行り始めた年のゴールデンウィークであり、例年ならバドミントン三昧なのですが、母の病気もあり私が自粛を開始した時期でした。

そしてその時からずっと強烈な閉塞感に苦しんでいます。

そんな中「この閉塞感を崩してくれるものがないか」と思っていた時に見つけたのがこのゲームなのです。

 

このゲームの魅力はたくさんありますが、その一つが「広大な世界を自由に冒険でき、行きたい所どこでも行ける」点です。(ヤバイ、もう長くなりそうだ)

※この画像は前作「ブレスオブザワイルド」です。

 

この部分が当時の閉塞感に苦しんでいた自分にとって大きな救いとなりました。

ゲームをやるのはもう何年ぶりだろうという状況でしたが、初めてプレイした時は子供の時に感じたような心からのワクワク・ドキドキを感じ、その世界に没頭しました。

そのような経緯から、その続編の発売が発表されてから、発売日を待ち望んでいたのです。

 

そして待ちに待った続編が発売され、プレイした感想は「やっぱりゼルダは最高だ」というものでした。

ただ発売されてから割とすぐに母の状態が急変しましたから、楽しさ100%とは言えませんでした。ですが広い世界を自由に冒険出来る解放感は本当に最高で、いい意味で現実逃避することが出来ました。

ゲームとして面白いのは当然として、苦しいことから少しでも気をそらせてくれる存在は、当時の自分にはとても貴重なものでした。

 

⑤自宅での筋トレ、マラソン

私はコロナが始まってから、スポーツサークルへの参加を自粛しています。

とは言え私にとってスポーツはなくてはならないものでしたし、運動量が減ったことでメンタルも崩れていきました。

そして次第に「このままではやばい!」と危機感を感じ始め、自宅での継続した運動と休日のマラソンを始めたのです。

 

もちろん運動したからと言って全てが好転するわけではありませんが、体を動かすと心身の老廃物が出ていく感じがして、少しは精神的にも落ち着く感じがしました。

日々の運動も一度習慣化してしまえば、逆に運動しないと気持ち悪くなるので、この習慣は今に至るまで続いています。

 

⑥読書

最後に読書です。

私は母が病気になってから様々な本を読みましたが、特に「夜の霧」「それでも人生にイエスと言う」等で有名なフランクルの本や、死生観に触れた仏教系(特定の宗派のものではなく一般書として)の本を多く読みました。

 

母が治療を始めた頃は奇跡を祈っていましたから、治療法やいわゆる「がんに効く」系の本をよく読んでいました。また自分を叱咤激励してくれるような本、前向きになるような本も読みました。

ところが頑張る期間が長くなり、状況が厳しくなってくるとだんだん疲れてきて、そのような本を読むことが苦しくなってきたんです。「もう頑張れない、頑張りたくない、疲れた…」というように。

そして「人生は大変なもの」、「人生は思うようにいかなくて当然のもの」というような本ばかり読むようになっていきました。まぁ辛い時ってそういう本の方が読んでいて落ち着くのですが...

 

やはり辛く苦しい時は前向きな気持ちになることは難しいですし、励ましも苦しいです。

ですがフランクルや仏教系の本は、「原因が自分になくても、どうしようもない避けられない苦しみはある」というような、ある意味「人生は苦しいもの」だと言ってくれているようで、少しホッとしました。

自分の苦しみは自分だけのものであり、単純に他人と比較することは出来ません。

それでも今自分が感じている苦しみの多くは、これまで同じように苦しんできた人間がいる苦しみであり、世界初の苦しみではないのだとも思います。

だからこそその苦しみを先に経験した先人達の言葉は、私の心に残りました。

 

 

5、最後に

私は母が病気になってからずっと苦しかったです。今も苦しいです。

そして母が闘病している時、「自分がこんなことをしていいのだろうか」という罪悪感と、「いやいや、今はこれくらいやったって罰は当たらないよ」という自分を許そうとする気持ちが、いつもせめぎ合っていたように思います。

でも「制限された状況で楽しむことって出来るんだな」と少し感じたのも事実です。

 

私は母のことを無事乗り切ったとはとても言えません。乗り切ったのではなく、逃げられない状況をもがいていただけなんです。そうしたら最後の時が来てしまったという感じなんです。

 

今は少しずつ春が近づいてきたこともあり、これからのことを真剣に考えています。

ですが最近季節の変わり目で少し体調が悪く、中々落ち着かないんですよねぇ。どうしたものかなぁ。

 

なんだか最後は纏まりのない内容になってしまいましたが、この記事が少しでも皆様の参考になれば嬉しく思います。

気温差が激しい時期なので、皆様どうかご自愛くださいませ。