家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

日増しに大きくなる母の存在感

皆さんこんにちは。もち丸です。

母が亡くなってから2か月弱が経ちました。ただ母は今年6月末に体調を崩してからずっと入院していたので、家に母がいない生活は3か月以上になります。

 

とは言え以前は病院に行けば会うことが出来ましたし、喋ったり触れることも出来ました。ですが今はどんなに望んでももうそれは叶いません。辛く悲しいというよりも虚無感が大きいですね。

 

 

 

1、一区切りはついたが...

まだまだやらなければならない手続きは残っていますが、少し落ち着きだした今日この頃です。食欲もまぁありますし、睡眠も一応はとれています。

 

ですが毎日に張り合いがないんです。食事等の家事をこれまで以上にやらなければならないことも大変ですが、何よりも母がいないことが寂しいです。

外で美味しそうなものを見つけても、「あ~、もうこれを買っても喜んでくれる母さんはいないんだ」と言う感じです。

 

旅行等の大きいイベントでなくとも、本当に些細な会話が、今までどれだけ自分の力や癒しになっていたかということを、今痛感しています。

今は生きてくれていた時のありがたさと、自分の中で大きな拠り所を失ってしまった喪失感を日々感じています。

疲れたなぁ。

 

 

2、もっと出来たことがあったはず

私にとって悔やまれるのは、「してあげたかったことをしてあげられなかったな」ということです。これは治療に関しても親孝行に関してもです。

 

  • 「あの時ガンマナイフを受けたことは本当に良かったのだろうか」
  • 「家を出て独立した姿を見せた方が、母の回復に繋がったのではないか」
  • 「心配させたまま逝かせてしまったなぁ」

等々尽きることはありませんね。

 

でもこの罪悪感は私の独りよがりなのかもしれないんですよ。

葬儀後に姉から聞いた話なのですが、以前母が「確かに〇〇(私)のことは心配だけど、いてくれるおかげでどれだけ心強く助かっているか」と姉に言っていたらしいのです。

そういう意味では、少しは母の助けになれていたのかもしれません。

 

ですが私は「~~をやってあげられた」「~~を見せることが出来た」ということを思いたかったんですよ。要は「自分がしてあげたかったことをやれた」という手応えです。

ですから母の気持ちと私の気持ちには「ずれ」があるのです。そしてそのずれを今の時点で埋めるのは正直難しいです。

 

買ってあげたかったものが沢山あった。報告したいことも沢山あった。安心感を与えてあげたかった。でもこれらはこれからいくら叶ったとしても、母にそれを伝えることはもう出来ません。

その点に対して私には後悔と無念さが残ります。

 

 

3、日々母を想う

最近手続き等が落ち着いてきて時間が出来たぶん、母のことを想う日が増えてきたように思います。

テレビで美味しそうなものを紹介していると、「あっ、これ母さんが見たら喜びそうだな」とか、連日のスポーツ大会放送に、「これ母さんが見たら喜びそうだなぁ」等々。

色々な情報が母と結びついていて、その度に母を想い、もういない寂しさを感じます。

 

介護や看護の大変さは私も少しはわかるつもりですが、それでも車椅子生活でもいい、ベッドの上から動けなくてもいい、それでももう一度話がしたいと思わずにはいられません。

それが叶うなら私はいくらでも頑張ります。

 

これまでの治療をしていた日々、緩和ケアに入ってからの日々。それらの時間は心身共にギリギリで、とてもしんどい毎日でした。実際に治療を受けていた母の大変さは私には計り知れませんが…

それでもその日々が懐かしい、今思えばとても幸せな日々でした。

 

母と会話するだけで問題は解決しなくとも、安心し日々を頑張ることが出来ました。

「また逆さまつ毛が目に入った、どうしよう」、「なんかお腹痛い、どこか病気だったらどうしよう」等、日々くだらない心配について母と話していましたが、それだけで私は楽になりました。病気の母親に何言っているんだと言われるかもしれませんが(笑)。

 

やはり私にとって母の存在はとてつなく大きかったです。他の何かでは代用出来る存在ではありません。

そしてそれは母がいなくなったことで、より強く感じます。

 

 

4、最後に

母が緩和病棟に入院したのは6月末頃でしたが、母は入院してからは完全な寝たきりだった為、この夏一度も外に出て夏の日差しや風を感じていません。本当に事態が急変してしまったのです。

せっかくケアマネージャーさんと相談して、手すりや車椅子の手配等、安心して自宅で過ごせる準備をしていたのに、それらを使う機会はありませんでした。

最近では杖や歩行器等を使って一人で歩いている人を見かけると、「いいなぁ」と思ってしまいます。

例え道具を使ってでも、一人で外出し歩けることが出来るのですから。

母は入院後は病院のベッドの上でしか生活出来ませんでした。あれだけ家で生活したいと言っていたのに、それを叶えてあげることは出来なかった。それが大きな心残りです。

私達家族も病院関係者も、結構頑張ったんですけどね。

 

母と話したり、口げんかしたり、買い物したり…

それが出来ていた時が、随分昔のような気がします。

また最近母がいない寂しさは日々大きくなっているのですが、それに対して母と過ごしていた時のリアルな感覚は、少しずつ減っている気がします。

 

それでも生きていかないといけない。でも前向きになることは疲れる。それでもやらなければならないことはなくならない。

ペースはまだまだ掴めていませんが、ぼちぼちとやっていくしかないのでしょうね。