家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

「母がいない日常」が日常になってきた

皆さんこんにちは、もち丸です。

立冬を境に急に寒くなりましたね。

暑い日が続く時はこの暑さがずっと続くように思いますが、彼岸を境に確実に季節は変わります。「暑さ寒さも彼岸まで」とは昔の人は上手いことを言ったなぁと思います。

母が亡くなってからは季節の変化にさえ諸行無常を感じ、なんだか寂しいものがあります。

 

 

 

 

1、自分にとっての古傷が痛む

最近私は体調が今一つです。体に関しては胃腸の不調や手湿疹等が出てきましたし、精神的なバランスも少し崩れている気がします。

私は長年神経症に苦しんだ経験があり、心気症や強迫性障害パニック発作等も経験しました。随分前にその全てを克服したのですが、母の件からのストレスで少しぶり返したのかなぁと思います。

 

※ ※ ※ ※ ※

ちなみに心気症とはちょっとした体の違和感や不快さを、大きな病気の兆候ではないかと心配し、日々神経をすり減らし、病院に何度も行ってしまう状態を指します。

※ ※ ※ ※ ※

 

誰にとっても心配する部分・神経質になってしまう部分があると思いますが、これは中々しんどいんですよね。

 

 

2、私と違って立派だった母

そんな自分ですから、私は「母さんは本当によく頑張ったよな」と思います。

母は最初にがんが見つかった時点でステージ4でした。そして当初から治療目的は完治ではなかったのだろうと思います。それに対する怖さはどれほどのものだったのだろうか。私だったら耐えられないと思います。

私は一つ体に心配なことがあるだけで心は不安で埋め尽くされ、行動力が著しく落ちます。ですが治れば安心して動き出せます。

ですが母には常にがんがあり、それが症状をもたらし、改善も難しい。私なら決して笑ったりは出来ませんし、愚痴と文句を言い続けるでしょう。

 

ですが母からはそのような言葉を聞いたことがあまりありませんでした。

もちろん日々痛みや不快感等を訴えてはいましたが、「考えてもなるようにしかならない」といつも笑っていて、逆に私達家族のことを心配していました。

なんて凄い人なんだろうと思います。

病気がありながら、しかもそれを取り除くことが難しい、更には日々症状は増していく中で、母は笑い精一杯生きていました。心から凄いと思います。尊敬します。

私は今そのような精神状態から程遠い状態です。

 

 

3、迫ってくる日常

最近母に関する様々な手続きが少し落ち着いたところです。そうすると今度は日常で立て直していかなければならない自分の現実が迫ってきます。

他人にとっては私の母が亡くなったことには大きな関心はありません。もちろん母の死を悼んでくれる人はいますし、母の関係者には大きな喪失感があるでしょう。

ですが社会にはそんなことは関係ありません。日々時間は流れていきますし、止まっているのは私だけです。友人にもそれぞれ仕事や家庭があります。その意味で本当の当事者は私達だけです。なんだかやるせなさを感じます。

 

母が亡くなってから3ケ月程経ちましたが、以前に比べて「悲しい」という感情はだいぶ小さくなりました。ただ日常に母がいないことが寂しく、つまらないといった気持ちですね。

悲しみが小さくなっていくにつれ、母がいた時のリアルな感覚は少しずつ薄れています。これは別れのステップが順調に進んでいっているということなのでしょうか。

 

大切な人を亡くした人が、その人がいた時のリアルさを失わないということは、悲しみも全く変わらずに持ち続けているということなのかもしれません。それはそれでしんどそうです。

ですが「母がいない日常」に少しずつ慣れていくことと引き換えに、母のいた日常から距離が出来るというのもなんだか寂しいです。

 

 

4、皆そうなのか

私は以前NHKで、末期がん患者等に寄り添いスピリチュアルケアを行う、大河内大博さんという僧侶の方の番組を見ました。最初から最後まで泣きどおしでした。

 

緩和病棟に入っている方は、積極的治療を行いません。病院に入院しながらも「元気になって退院する」ことが目的ではなく、「痛みを軽減しその人らしく生きる時間を大切にする」という感じでしょうか。

その時間は患者自身もその家族にとっても、何とも言えない時間です。私は母が緩和病棟に入ってから(母が病気になってからずっとですが)、希望と覚悟の間で揺れながら、誰にも相談出来ない想いをずっと持っていました。

そしてその想いに関しては誰かにアドバイスが欲しいわけではありませんでした。というか解決出来る問題ではないですし、下手にアドバイス等欲しくありません。

スピリチュアルケアはそのような答えのない想いや問いに、寄り添ってくれるものなのだと思います。

 

その番組のなかで武田アナと大河内さんが自身の親を亡くされた話をされていたのですが、お二人とも私と同じ気持ちを抱えているようでした。

私よりも年上で人生経験をしっかりと積んできたように思えるお二方。しかも大河内さんは僧侶として厳しい修行を積み、多くの人の生老病死に関わってきた方です。

そんな二人でも今でも家族を亡くしたことに涙したり、苦しさや寂しさは消えていないようで、「あんなに立派な人でも辛いなら、俺が辛いのは当たり前だな」と思いました。

 

恐らく悲しみや喪失感は消えないのでしょう。ですが「消えない喪失感を持った自分」と、「前に向かって歩こうとする自分」、その一見矛盾するような自分が二人いていいと言ってもらえた気分です。

前向きになる必要もないし、無理に吹っ切る必要もない。苦しいままで生きていくことも出来る、そのようなメッセージを私は受け取りました。

 

 

5、最後に

母が亡くなってからもうすぐ3ケ月です。長かったような短いようなよくわからない気分です。

私は新卒時に一旦家を離れましたが、それから数年後にまた実家に戻り、それ以来母とずっと一緒に暮らしてきました。

これが普段離れて暮らしているのなら、今とはまた違った心境になっているのかもしれませんが、ずっと一緒に住んでいた分「居ない」ということを日々感じます。

 

やっぱり何歳になっても親という存在は特別なのでしょうか。どれだけ自分にとって大きな支えだったのかと思い知らされています。

「声を聞きたい」、「話を聞いて欲しい」…その思いはずっとあります。でももうそれは叶わない。この寂しさをこれからずっと持って生きていくのかと思うと、中々キツイですね。

 

治療が始まった当初は、私は奇跡を信じ希望を持っていました。希望があったから、そしてまだ母がいたから何とか踏ん張れていたのだと思います。治療していた頃は幸せでした。

これからは辛くとも生きていかなければならない。なかなかにしんどいですね。