家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

家族自身のケアの重要性

皆さんこんにちは。もち丸です。

 

いきなりですが、私は最近少しお疲れモード気味です。

元々気圧や気温差には敏感で、季節の変わり目は体調がよろしくないことが多いです。その影響もあるかもしれませんが、最近何だか眠いor肩こりが酷いです。皆さんは大丈夫でしょうか。

 

とはいえ普段から焦りや不安が日常化している為、脱力してゆっくりするのが苦手な今日この頃。その為今回は今の自分を少し分析して、何にストレスを感じているのかを振り返ってみたいと思います。

 

 

 

1、生活にメリハリが無い

まず今の私の問題に、日々の生活に「メリハリ」が少ないことがあると思います。

 

私は現在就職活動をしながら資格の勉強、そして母の看護をしています。その為毎日出掛けていく場所というのが、今の私にはありません。

もちろん日々の中でメリハリをつける意識はしています。それでもコロナの影響で外出も最低限にしている為、環境の変化が以前より小さいです。

 

今年の始めまでは母の病院付き添いや、様々な手続きで慌ただしくしていましたが、最近は通院も月に1、2回の緩和ケアのみです。

以前なら母の病気に関して、わずかでも可能性にかける、言い換えれば奇跡を信じることで日々の不安や恐怖に何とか耐えていましたが、今は治療も終了してしまい、正直奇跡を信じきれなくなっています。

 

 

2、希望がなければ踏ん張れない

目標や希望を持てているうちは、あるいは苦しさが期限付きならば日々が辛くても何とか耐えられます。更には忙しくしていることで、色々と考えずに済む部分もありました。

 

ところで母は緩和ケアに入ってから、全身CT検査や血液検査を一回も受けていません。その為今母の体がどうなっているか詳しくわかりません。

主治医曰く、「治療が出来ないなら、痛い検査をしてまでどれだけ大きくなったのかを一緒に確認したくはありません」とのこと。

理屈ではわかるんです。それでもそのような話を聞くと、まるで見捨てられたような気持になります。先生の元には次から次へと治療を受ける患者が入ってくるので、先生は母一人のことを、そこまで気にかけていないのかもしれません。

でも私にとってはこの母だけです。そして「先生のもとで治療をしている患者」という枠に入っていないことが、とても寂しく感じます。時には今治療が出来ている人のことを、羨ましく嫉妬の目で見ることもあります。

 

ちょっとここらで、自分の気持ちや状態を見直す必要があるかもしれません。このままだと自分の心身のバランスが、崩れてしまうような気がします。

 

 

3、今の自分に大事な事

①休む重要性

改めて考えてみると、「休む」って私にとっては結構難しいことなんです。

私は日々心身が緊張していると思いますので、体を休めるということは非常に大事なテーマです。ところが私は「今仕事をしていない」ということで、休むことに罪悪感を覚えます。

まぁ例え罪悪感が無くとも、母のことや色々なことを考えていると、「こんな状況でリラックスなんて出来るか!」となってしまいます。我ながらなんてめんどくさい性格(笑)。

 

昔本で「休むことに罪悪感を感じる人が多い」という文言を見かけたことがありますが、あれは本当だったんですね。当時は「そんな人もいるんだ」程度の認識でしたが、今となってはメッチャわかります(笑)。

やらなければならない(と自分が思っている)ことがやれてないうちは、肩身も狭く自信も無く、罪悪感を感じると…

 

でもこれから先も気になることが一つもない「完全」な状態というのは、来ないのだと思います。そうするとこれからの私には、気になることがありつつも、休んでも良いという心構えやコツが必要になると思います。これは性格だから仕方ないというより、自分を追い込まない為にも必須なスキルです。

他の人が「もういいよ、力抜いても」と言ってくれたとしても、自分が「まだまだ」、「これじゃあだめだ」と言い続けていると、中々リラックスは出来ませんからね。

 

②眼鏡作り

次に目についてです。私は障害とまでは言えませんが、ちょっと面倒な目を持っています。元々私は左右の視力差が大きかったのですが、片目が若年性白内障になったことで人工レンズを入れ、更に左右差が広がった+ピント調節が出来なくなってしまったのです。

その為長年見え方の調整に苦労していて、それが心身ともにストレスとなっています。

 

私は普段コンタクトと複数の眼鏡を使い分けることで、日々を過ごしています。ただアレルギー等があるのでコンタクトは苦痛ですし、コンタクトを着けないverの眼鏡は、肩こりや頭痛、距離感がつかみにくい等、本当に大変です。

目に問題が無い方にとってはあまり想像出来ないかもしれませんが、見え方の調整は人によっては人生を左右しうる程、重要なものだと思います。

 

ただ色々調べている中で、左右差の大きい人向けの眼鏡作りに注力している眼鏡屋を見つけたので、転職やコロナ等が落ち着いたら行ってみようと思っていました。

ところが状況は一向に落ち着きませんし、コロナも収束までにはまだ時間がかかりそうです。その為まだ落ち着いてはいませんが、近いうちに一度相談しようと決めました。

恐らく100%満足出来る眼鏡というのは難しいでしょうが、少なくとも今かけている眼鏡が世界で一番自分に合っている眼鏡ではないと思います。

そして見え方のストレスが今よりも小さくなれば、確実に私のQOLは上がります。眼鏡は安くはないですし、また駄目だったかと再び心折られる可能性もありますが、チャレンジしてみたいと思います。

まずは取り掛かれそうなものからですよね。

 

③メンタルのケア

メンタルケアも私にとっては重要なテーマです。

コロナ前は就職支援機関等で定期的に相談したり、友人と会ってお喋りすることで、何とかバランスをとっていました。ところがコロナ禍や母の病気という、これまでとは違う状況の直面に際して、これまでとは違うサポートを私は必要としている気がします。

その一つが「精神腫瘍科」です。

 

つい先日も母の通院付き添いの際、私自身の精神腫瘍科の診察と、心理士さんとの面談をしてきました。

私の個人的感想ですが、精神腫瘍科はその特性上一般的な精神科よりも対話に力をいれてくれる印象があります。ただ最近は消化出来ていない思考や感情がたくさんある為、自分の思考を整理する為に心理士さんにもお願いしたのです。

今の私は「不安があるから抗不安薬」のような対処では足りないと思う故ですね。

幸い非常に充実した時間になり、久々に自分の気持ちを吐き出すことが出来ました。これからもそういった時間を作ってくださるとのことなので、非常にありがたいです。

 

そしてもう一つ今気になっているのは、「がん哲学外来」というものです。

まだ詳細について調べ中なのですが、全国あちこちでがんの関係者が、仲間と共に胸の内を話す場を提供してくれる存在のようです。

現在はコロナ禍ということもありますし、運営母体も様々らしいのですが、「利用する・しない」は別として、少し調べてみようと思います。

 

 

4、最後に

私はブログに自分の気持ちを吐き出すことで、自分の感情を整理しています。それに加えて紙のノートにも、様々なことを書き殴っています。こちらは誰に見せるものでもないので、もっとドロドロした感情や思考を書いています。(笑)

 

人に話す際やパソコンで文章を書く際は、やはり「見られる」ということを意識する為、本音ではあるものの多少角をとって文章を丸くしています。それに対して手書きはより純度が高い気持ちのアウトプットが出来るのが長所です。

その際大事にしたいのは、汚い言葉や表現することを躊躇するような内容でも、それを書くことを自分に許すことかなと思っています。

自分が考えたことや感じたことは、正しいとか世間に受け入れられるか等は別として、間違いなく自分が思ったことです。そのこと自体は否定出来ないし、認めてあげたいです。

 

このブログを見てくれた人が、心身穏やかになりますように。