家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

苦しい中で感じた光

皆様こんにちは。もち丸です。

 

いきなりですがまた絶望の更新です。

先日入院している病院で、母がコロナに感染してしまいました。これ以上ない程の厳しい状態です。

最近はテレビで報道しなくなっただけで、コロナは変わらずにあります。そして全国あちこちでクラスターも発生しているようです。

どうか重症化リスクが高い方、またその家族の皆様は、くれぐれもお気をつけください。

 

さてここからが本題ですが、私は今とても苦しい日々の中でも、感じた希望や光があることを以前チラッと書きました。今日はそのことに焦点を当て、記事を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

1、やっぱり緩和ケアは辛い

緩和ケアは積極的治療は行わず(人によっては治療と並行することもあります)、痛み等の苦痛を緩和し、その人が穏やかに過ごすことを目的としています。

私は正直「穏やかに最後の時を過ごす」という意味を強く感じています。

確かにある意味では穏やかなのかもしれませんが、私にとっては地獄です。いつ事態が急変するかわからず、電話が鳴るたびに胸が苦しくなります。

その為心からリラックス出来る時間などありません。

 

そして恐ろしいことにこの先、私達家族にとって辛い出来事が起こるのであろうことが予測されます。

「母さんが何をしたっていうんだよ。どこまで地獄を見せてくるんだよ」と、怒り、悲しみ、恐怖、不安、焦り、後悔…様々な負の感情が混ざった正に苦の極地です。

 

でも母が緩和ケアに入ってから、感じた光もあるのです。

 

 

2、病棟の空気感

緩和ケア病棟に初めて入った時に思ったことは、緩和病棟は明らかに一般病棟とは雰囲気が違うということです。一番最初に気付いたのは「音」です。

 

とにかく凄い静かなんですよ。一般病棟や外来で感じるような、ガヤガヤした騒音がありません。

狭い場所に多くの人がひしめきあっているような感じがなく、一人に対してゆったりとしたスペースが用意されている印象です。

その為私は初めて病棟に足を踏み入れた時、その静かさに安心というよりは、不気味さや不安を感じました。「あー、明らかに今までとは違うんだな」という気持ちです。

 

 

3、スタッフの方々の気遣い

そして緩和スタッフの方との関係性にも、これまでの一般病棟、外来とは違う印象を持ちました。

 

これまで主治医、看護師、相談員等、多くの方と接しましたが、接する密度が濃いのです。これまでは診察時のみ主治医・看護師と接点があるといった感じでしたが、緩和ケアでは主治医も看護師も私達家族に対して、時間を作って話をする機会をつくってくれます。

その為これまでの診察時のように、「限られた時間で要点を絞って質問する」というような、慌ただしさがありません。

 

また母はスポーツが大好きで、今は高校野球世界水泳等、様々なスポーツ大会が開かれていますが、今母は自分でチャンネルを変えることが難しい為、看護師さんがその番組をかけてくれるのです。今母が出来ることと言ったらテレビの音を聞くこと位ですから。

 

他にも私達家族の写真を撮ってくれたり、先日はコロナにより面会出来なくなった私達を気遣い、母の携帯を耳元にあてて電話してきてくれたのです。

他にも言葉のチョイスや伝え方等、考えながら言葉を紡いでくれる印象で、もうスタッフの方には感謝しかありません。

 

 

4、初めて話せた想い

また少し前に相談員さんと話をする機会があったのですが、その時母が病気になってからずっと抱えてきた私の気持ちを、相談員さんが聞いてくれました。

「自分が母にしてあげたいことが全く出来ていないこと」、「この歳になっても母に心配ばかりかけていること」、「このままでは大きな罪悪感が残ってしまうこと」等々、ずっと心に残っているものでした。

 

そしてその気持ちを聞いてもらえた時、やっぱり安堵するんですよね。例え解決しなくとも。

私自身ずっと感じてきた事ですが、この思いは決して薬では癒せない部分です。

例え薬で不安感を軽減出来たとしても、自分がずっと抱えてきたことそのものには、薬は届きません。

そこを癒すことが出来るのは、やはり人に話せた時、それを理解してもらえた時、それによる安堵にしかないように思います。

 

このように患者である母だけでなく、家族に対しても丁寧に真摯に寄り添ってくれる、緩和ケアに関わるスタッフにはそのような心遣いを感じます。

 

 

5、「医師ー患者」を超えた気遣い

私は母の緩和ケアに関わってくれる全ての人に感謝しています。主治医、看護師、相談員、ケアマネージャー、福祉用具事業者…

今緩和ケア関係者との関わりは、「診察時間のみ関わり、時間が過ぎたらハイ終了」というような関わりではありません。

 

少し前に母が肺炎再発、脳梗塞脳出血を発症した日、主治医は不在だったのですが、その日の夕方、主治医が直接電話してきてくれたのです。

その時私は辛い状況なのにも関わらず、とても満たされた気持ちになりました。「あ~、こんなにも真摯に対応してくれる先生がいるなんて」と感動しました。

そして考えたくないことではありますが、「何かあったとしてもこの病院でよかったと思うんだろうな」と思いました。そしてそんなことを思った自分自身自身に驚きました。

 

やはり「医師と患者」の関係性、つまり「治療を提供する側と受ける側」という関係性であっても、その部分を超えた人間的な気遣いや態度に、私は救いや光を感じました。

この先とても恐ろしいことが待っているのかもしれませんが、最後の最後に病院や医師等スタッフの皆様に、救われる思いがしました。

 

 

6、最後に

緩和ケアに限らずいわゆる「生老病死」には、多くの場合他者が関わることになります。

その際「どんな人と関わるか」によって、私達の気持ちや感情は大きく左右されることになるのかもしれません。もちろん関わる人達を私達が選ぶことが出来ないケースも多いですが。

 

私は正直今でも母に生きて欲しい、奇跡が起きて欲しいと思っています。でも「母さんがお世話になるのがここでよかった」という、安堵感があるのも事実なのです。

今の状態を受け入れているとは言えない心境ですが、「この病院があってよかった」、「この人達でよかった」と思えています。

もちろん治療をしていた時には、こんなことを思うようになるなんて予想出来ませんでした。あくまで大事なのは「治療」であり、緩和ケアに行くなんて考えるのも嫌だったからです。

でも緩和ケアに入って初めて、自分の母や家族の状況の一部を、信頼して他者に委ねることが出来、苦しい中でも安心した気持ちを感じました。

 

また緩和病棟でたまに他の入院患者やその家族に会う事がありますが、私は勝手に同志のような気持ちを抱いています。

世の中には本当にいろんな人がいます。決して右肩上がりで順調に来た人ばかりじゃない。お金をたくさん稼いだり、大企業で正社員として働いている人ばかりじゃない。

生きたいのに生きられない、大きなものを抱えている人もいる。

 

でも皆そんな中でも必死に生きています。生きようとしています。

私はそんな方を想うと涙が出そうになる時もあり、励まされる思いもします。「お前もまだまだこれからだ。もっとしゃんとせい!」とお尻を叩かれているようです。

 

私はこれからもこのブログで弱音や愚痴等、他の方が見たら決して心地よいものではない文章を書くと思います。

それは「やっぱり諦めきれない、まだまだこれから」という思いを捨てることが出来ないからです。

今回この記事をかいて、そんなことを思いました。