家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

見なければならない辛さ

皆さんこんにちは、もち丸です。

 

最近の気温差にはまいりますね~。ただでさえストレスMAXなのに、この気温差には流石に体がついていきません。子供の頃は気温差なんて気にしたことはなかったのですが、これが年をとるということなのでしょうか。

まぁ常にストレスがある分、余裕がなくなっている感じですね。

 

さて今日は家族として、「母が痛い・辛い」と訴える姿を、ただ見ていることしか出来ない苦痛について書いていきます。恐らく今家族を介護・看護している方は、皆この気持ちを感じているんじゃないかなと思います。

 

 

 

1、痛みの辛さ

様々な痛みを日々感じ、辛そうにしている母を見るのは辛いです。

マジで辛い!

 

また現実逃避なのかわかりませんが、母が訴える痛みに対して、何とかがん以外の原因を見出そうとしてしまいます。もちろん実際に母の感じている痛みや不快感の原因は、100%がんから来ているわけではないのですが。

 

実際母の体のがんは、リンパ節以外はそれほど大きくなっておらず、痛みの原因が特定出来ない部分も多いのです。そして痛みの原因はがん自体はもちろん、薬の副作用、栄養の偏り、筋肉の衰え等々、複数の要因があるようです。

 

でも「がんが大きくなって欲しくないという願望」「原因がわからない不安」から、なんとかがん以外の原因であって欲しいと思ってしまうのです。もちろん今書いていて、自分でもかなりバイアスがかかっているという自覚はあります。

 

 

2、痛みをコントロール出来ない

今は様々な媒体で「がんによる痛みや苦痛はかなり改善出来る」と言われています。もちろんそれは間違いないことだと思います。

ですがやはりどうにもならないことも多いです。事実母は脇下のリンパ節部分がかなり大きくなってしまい、ピリピリした痛みが強いようです。

主治医は神経性疼痛に効く薬を処方してくれましたが、母にはあまり効果がありませんでした。

 

ちなみに母の脇下部分は間質性肺炎の後遺症が残っていること、病原が神経に絡まり合っていること等から、手術も放射線治療も難しいそうです。

その為薬による緩和が出来なければ、痛みを軽減する手段がありません。

それはあんまりです。何のための緩和ケアなんだと腹が立ちます。

 

また他にも苦痛がある部分は多いのですが、数値や画像には異常が無い為、先生も対処に困っている部分も多いです。

 

 

3、治らないならせめて痛みをとってくれ

「自分が病気で苦しむこと」「家族が病気で苦しむ姿を見てこちらが苦しいこと」、これは決して比較出来ない、というか比較に意味はないものだと思います。

母が「腰が痛い」と言っても無責任な励ましは出来ませんし、「今度また先生に訴えてなんとかしてもらおう」と言っても、「言っても何にもならないよ」という言葉も出てくるようになりました。

 

それに対して「話を聞いてあげるだけでいい」「傍にいてあげるだけいい」という話も聞きます。

でもそんな言葉はどうでもいい。頼むから母を生きるという前提の上で、苦痛を軽くしてくれと願うばかりです。

 

 

4、更に上がある絶望

母ががんになったこと自体、私にとってはとてつもなく辛い出来事です。

そしてこれまで

「完治出来ない」→「薬の効果が落ちてきた」→「薬が効かない」→「治験が受けられなくなった」→「もう治療が出来ない」

と、ステージが変わる度に絶望を感じてきました。その度にもう立ち直れない程苦しんできました。それなのにそれを更に上回る絶望があるのです。次々と苦しみを更新しているのです。

そして今度は「有効な緩和手段が見つからない」という絶望がありました。もうこれ以上は耐えられそうにありません。

 

母は「私が死んだらもう苦しくなくなるってことだから、悲しまなくていいよ」と言いますが、そりゃないですよ。

生きていて欲しいですが、生きているからこそ辛いのです。

 

 

5、まだ自分たちが使っていない持ちカード

現時点で母が少しでも楽になる可能性はないのだろうかと考えた時、浮かぶものが二つありました。それは

  1. 看護師等に話を聞いてもらう(母が)
  2. ケアマネージャーに相談する

です。

 

①看護師等等に話を聞いてもらう

私は昔神経症(強迫性障害)に10年以上苦しんだ経験があります。それについてここでは触れませんが、苦しさの一つに「苦しさが人に理解されにくい」ということがありました。

 

「本当に辛いのに、分かってもらえない」

 

これ自体も苦しみです。でもその分その苦しみを理解してもらえた時、共感してもらえた時、例え病気は治っていなくとも、心から安堵するのも事実です。

 

私は自分が神経症になって良かったとはもちろん思いませんが、以前よりは自分の苦しさや考えを人に訴えることが出来るようになりました。

まぁこれは成長というようなきれいな言葉ではなく、本当にギリギリまで追い詰められたことで、自分だけでは抱えきれずに、外に助けを求めざるを得なくなったというだけなのですが。

 

また私の家族は比較的内向です。父も母も友人はほとんどおらず、人に相談するということをほとんどしてこなかった人間です。

その為私が「看護師さんに話を聞いてもらおうよ」と訴えても、「何の為に話すの?」と返されて終わりです。

私は誰にも気付いてもらえない気持ちを吐き出せた時の、癒しの効果を知っています。その為例え直接痛みを取り除くことが出来なくとも、胸の内を吐き出せる人が、母に出来て欲しいなと願うのです。

 

 

②ケアマネージャーに相談する

現在私の母は介護保険を既に取得していて、要介護2の状態です。ですがまだケアマネージャーに相談したことがありません。

その為私自身は早くケアマネージャーと連携したいと考えています。ところが母や父はあまり乗り気ではないようなのです。

以前別の病院でも「なるべく早めにケアマネさんと連携した方が、本人も家族も楽になれる可能性が高いですよ」と言われたんですけどね。

 

私も本を読んだり知人の話を聞いたことで、ギリギリまで家族だけでやって、どうにもならなくなってから相談するよりも、早めに相談した方が結果として全員の負担が軽くなり、物事もスムーズに進むのだろうと思っています。

それに客観的に判断出来る人の存在は、物事を自分達だけで抱え込む危険を軽減出来ます。

さてどうしようかな…

 

 

6、見ていることしか出来ない辛さ

私は「自分が病気で苦しいのも辛いが、家族が辛そうにしている姿を見ていることしか出来ないことも辛い」と思います

逃げ出したい気分になることもありますが、結局逃げることは出来ないんですよね。そしてコロナ感染による重症化リスクが高いことから、私自身の気分転換もなかなかうまくいっていません。

 

母に長生きして欲しいのは間違いないですが、母が生きている限り母の苦しむ姿を見ることになるのです。もうどうしろって言うんでしょう。

一日でも早く画期的な治療法や新しい緩和手段が確立されて欲しいです。何か治験に参加出来ないかなあとも思います。

 

 

7、最後に

この記事を書いていて改めて思ったことですが、自分の気持ちを言葉にすることが出来るようになっていてよかったと心から思います。

心身に入ってくるストレスを少なく出来ないのなら、アウトプットを増やすことでバランスをとるしかありませんよね。何となくダムの放流が浮かびました。

 

後は今の状況でも楽しみに出来ている、ゼルダの伝説「ティアーズオブザキングダム」をプレイして、現実逃避でもするしかありませんね。

現実逃避というと悪いイメージがありますが、このような状況なら少しくらい現実逃避をしても許されるでしょう。

 

今私と同じような状況にいる方へ。

辛いですね。そしてどうにもなりませんね。それでも奇跡を祈る気持ちを捨てられない。

覚悟を決めなければという気持ちと、結局は決めきれない気持ちの間を揺れ動くしかない現実に、少しでも救いがあって欲しいと思います。