皆さん、こんにちは。もち丸です。
ここ2週間、母の通院回数は落ち着いていて、3月初めに緩和外来の初診です。
しばらくは病院通いが無いので、少しはゆっくり出来るのかなと思ったのですが、意外とそうでもありません。
むしろ忙しくしてる方が、色々と考えなくて済む分、楽かもしれません。
今日は表題の通り、「幸せだからこそ怖い」というテーマを軸に、記事を書いていきたいと思います。
1、通院が減ったのに疲れる
今母は肺がん治療を受けていた病院での、緩和外来の初診待ちの状態です。受診日は3月初めなので、しばらくは通院頻度が少し落ち着いています。
これまで週に2回は病院に通うという状態が続いていたので、しばらくはゆっくりと出来るのかなと思っていました。
ところが以外とそうでもないんです。
時間がある分色々と考えてしまうんです。これなら忙しい方がまだマシなんじゃないかとすら思います。以前の職場で働きずめだった頃もこんな感じでしたね。まるでワーカホリックのようです。(笑)
病院とは治療をしに行くところですから、治療しないということは病院に行く必要も検査をする必要もありません。母の体にとっては回復の時間になるのかもしれませんが、正直それはそれで辛いです。
2、治療中止後初の脳外科定期健診
次に脳腫瘍治療後の、脳神経外科定期健診について触れます。
母のがんが発覚したのは、脳腫瘍による認知症状の現出がきっかけでした。以降2回の再発がありながらも、幸い治療が功を奏し以後1年半程再発はしていません。
そして先日、脳腫瘍を治療した病院での定期検査がありました。
ただ今回はこれまでとは状況が違います。原発巣である肺がんの治療がストップしている為、これまで以上に再発に不安があるからです。
ただ今回は幸い、再発はありませんでした。本当に良かった。ただでさえ今はきつくて仕方ないので、たまには良いニュースがないとやってられません。
そして先生に近況をお伝えすると、「うちには緩和ケアを受けている人や病院から、処置をお願いされることも多いんです。だから今後も定期的に見ておけば、対応出来るので大丈夫だと思いますよ」とのお言葉を頂きました。
その際母は「最期は頭はハッキリした状態で死にたい」と言い、横で聞いている私としてはとても辛かったです。そんな内容を笑顔で言うなんて。
「もう母さんは色々受け入れているのかな。そんなこと言わないでよ」と泣きたくなりました。
3、緩和ケアに動きあり
前回の記事で、今後どのように緩和ケアを受けていくかをソーシャルワーカーさんと話したということを書きました。
私達は当面は今の病院の緩和外来に通いつつ、呼吸器科も並行して受診するつもりです。
今後状況の変化により、自宅近くの病院にお世話になる日も来るとは思いますが、そちらの病院とのやり取りは、ひとまず緩和外来の初診後でいいかなと思っていたんです。
ところが先日担当ソーシャルワーカーさんから、「一度自宅近くの病院に行ってみませんか」という電話連絡がありました。
どうやらソーシャルワーカーさんが別件で自宅近くの病院と連絡を取った際、「病院の緩和外来は混んでいる」こと、「今通っている病院との並診も出来る」ことを伝えられ、今からパイプを作っておいた方がいいかもとのことでした。
私はその連絡を受けて正直複雑でした。もちろんソーシャルワーカーさんからの提案は善意であり、大切なことです。ですが状況が確実に進んでいるということが、私にとっては現実が迫ってきているように感じたのです。
正直「いきなりそんなこと言われても」と思いましたが、私達は「いずれ必要な手続きが少し早まっただけ」と考え、ソーシャルワーカーさんに「イエス」の返事をしました。
幸いその病院とのやり取りは、全てソーシャルワーカーさんが行ってくれる為、事務手続きに関しては楽です。
ですが、何だかどんどん緩和に向かって進んでいるというのがなんともキツイです。
4、幸せだからこそ辛い
今の私の精神状態ですが、何とかギリギリもっているというのが実感です。というかよく耐えていると思いますよ。だって滅茶苦茶キツイんですから。
私が耐えられている要因は、
- 家族が私のことをしっかりと受け止めてくれていること
- 漢方内科で心身のメンテナンスをしていること
- 精神腫瘍科やがん患者交流サイト「5years」で、気持ちを吐き出していること
が理由だと思います。まぁ正直ギリギリですが。
でも最近強く感じるんです。「母と、家族と過ごせることがとても幸せだ」と。
コロナのせいで外出がしにくい状況ですが、それが結果として家族との濃い時間を過ごすことに繋がっています。そして幸せを感じるからこそ、この幸せな日常が終わってしまうかもしれないという恐怖を強く感じます。
幸せを感じても、希望を持つことが難しい。これなら今は苦しくとも希望を持てている状態の方がまだ救いがあるかもしれません。
今は「だれだれががんで亡くなった」というようなニュースを見るのがきついです。もうやめてくれよ、本当に。
5、休まなければ。しかし...
私は今強く意識していることがあります。それは「意識して休む」ということです。
私が利用している「5years」には、色々な立場の方がいます。治療が終了した方、治療中の方。そして患者本人、その家族...
その中には今の私と同じように、苦しみの真っただ中にいる方もいます。コメントに緩和ケアという言葉が出てくる方もいます。
そういった方のコメントを見ていると、もう本当に苦悩が伝わってきて、「リラックスしてゆっくりすることは難しいだろうけど、それでもゆっくり休んで欲しい」と思います。
正直辛くて当たり前です。眠れなくなったり、メンタルが落ちるのも当たり前だと思います。必死に状況に向き合い、神経をすり減らし、日々生きている。もうそれだけで「やるべきことをやっている」と思います。
でも自分自身に向けては「やるべきことをやれていない」、「自分は駄目だ」と自分にダメ出しをし、ますます自分を追い込んでいるように思います。それはとても残酷なことだと思いました。
私はしっかりと休んでいい、そして自分のやりたいことや欲しいものを今までよりも大切にしてあげたいとも思ったのです。
もうこれ以上鞭を打つのは止めよう。もういいよ。頑張っているよ。疲れていいよ。
6、最後に
今までは「がん」というものは自分には無関係な話題でした。どんなものでもそうだと思いますが、人は自分が当事者になるまでは、多くのことが対岸の火事、他人事です。
もちろんそのこと全てが悪いわけではないと思います。
全てのことに敏感に反応していては、とても心身が持ちません。多くを他人事として受け流し、自分を守っているのだと思います。
加えて情報が大量に溢れている今、「意識して情報をシャットダウンする」、あるいは「刺激に対する感度を鈍らせる」ことが、健全な心身を守る為の必須スキルなのかもしれません。
それでも当事者となり、気付いてしまった以上、気付く前には戻れません。同じように苦しむ人の気持ちが少しは理解出来ますし、自分の苦しみが人に理解してもらえた時の安堵感はかけがえのないものです。
願わくば奇跡が起きて欲しい。そして自分と私の同志にどうか平穏が訪れますように。