家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

治療中止の宣告

皆さん、こんにちは。もち丸です。

 

実はつい先日、かなりキツイ出来事がありました。母の肺がんの積極的治療がストップすることになってしまったのです。

キツイです。本当にキツイです。つい2、3日前のことなので、正直全く気持ちが追い付いていません。

ただどこかにこの心情を出さないと自分がもたないと思い、記事を書いていきます。

 

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1、自分の精神腫瘍科受診、のはずが…

先日母の病院に付き添った時の話です。私はその日「精神腫瘍科」を受診しました。

精神腫瘍科とは患者本人と患者家族を対象にした、がんに特化した精神科のことです。精神科医や心理士が話を聞いてくれ、心身に症状が出ている場合は、薬も服用してくれます。

本来はそのことを今回の記事のテーマにするつもりでした。

 

その日は母の全身CT検査を行い、次の治療をどうするかについて話すという日でした。

私は母の診察の際、出来る限り同席していましたが、今回は自分自身の診察が終わった後でも充分間に合うと思い、別行動をとることにしたのです。

 

ところが待ち時間に父から「先生が息子さんの予定が終わってから時間を作ると言っている」とのメールが来ました。その日は主治医の正規の診察日ではなかった為、ある程度時間の融通が利くからだろうとも思いましたが、いつもと違う話の流れに嫌な予感がしました。

精神腫瘍科では看護師、心理士、医師が様々な角度から話を聞いてくれた為、本来なら時間を十分にとってくれて嬉しいはずなのですが、段々と時間がかかっていることに焦りを感じるようになりました。

 

そしてこちらの診察が終わり、急いで二人のもとに行くと、薬剤師に付き添われた両親がこちらに歩いてきます。そして父が「今日こそお前がいてくれたら良かった」と言いました。

この時点で物凄く嫌な予感がしました。とっさに「治療が終わるんじゃないだろうな」と思いました。

 

 

2、治療中止の宣告

そして落ち着ける場所に座り、両親と薬剤師とで話し始めました。

でも話を聞く前から、正直その話なんだろうなとわかりました。

そして「リンパ節部分が大きくなっていることから、薬の効果があまり出ていない。しかも肺炎悪化の恐れがあることから、次の治療候補・オプジーボを使うことも危険らしい」という話を聞き、「緩和ケア」という言葉が出てきました。

 

私は「あ~、ついにきてしまったか」と思い、どこかで少し予想していたものの、「もうキツイ」と思いました。

私は祈っていたんです。肺がんステージⅣということで、状況が厳しいとはわかっていましたが、それでも奇跡が起きて欲しいと。例え完全には無くならなくとも、あまり大きくならずに長い時間生きることが出来る人だっているはずだと。

 

薬剤師さんは「緩和ケア=ターミナルケアではないですよ。今治療を続けてしまうと肺炎が悪化する可能性があり、それと期待出来る治療効果を天秤にかけた結果なんです」と言いました。

ひとまず直近の治療は脇下の腫れたリンパ節部分に放射線治療を行い、痛みをとることだそうです。ただそれは治療目的ではなく、あくまで緩和目的とのこと。

 

私は「ふざけんなよ。勘弁してくれよ。そんな簡単に科学的根拠とかこっちが反論出来ない言葉をかけないでくれよ」と思いました。そして「頼むよ。なんとかしてくれよ」とも思いました。

母は「私が死んだらもう苦しまなくていいってことだから、悲しまないでいいよ」と言いました。この言葉は聞いていて本当に辛かったです。

 

 

3、希望が欲しい

私達は治療開始前に先生から「治療の目的は完治ではない」と言われていました。それでも今治療をしている」という実感があることが、唯一の救いだったんです。そして可能性が低くとも、母の場合は奇跡が起きるんじゃないかと祈っていたんです。それだけが辛い時期を何とか踏ん張れていた私のモチベーションでした。

 

そして私は苦しいと思うと同時に、「やばい、崩れるかもしれない」と思いました。私は常にギリギリの精神状態でしたから、あと一つ何か加わってしまうと自分は潰れてしまうと考えていました。そしてそれに備える為、漢方内科精神腫瘍科、更には以前説明した「5years」等を頼り、なんとか持ちこたえようと頑張っていたのです。

mochimaru-hope.hatenablog.com

 

更には父のことも心配です。現在ベクトルの全てが母に向かっている父。母に何かあった時、父もそのままダウンしてしまうんじゃないかと思うと怖いです。

 

今治療の効果が出なくとも、「次がある」と思いたいのです。その次が無いとしたら、どうやってメンタルを保てばいいのでしょう。

ただふと私は以前体調を崩したことによって、昔より「周りに助けを求めるハードルが下がったかもしれないな」とも思いました。人は本当に限界まで追い詰められると、外に助けを求めるしかないからです。

「神様、どうか奇跡を起こして母のがんを治し、心身に健康と平穏をお与えください。お願いします」

 

 

4、しばらくは前向きは止めよう

そして気持ちが落ち着かない今思う事は、「しばらくは前向きに自分の気持ちを上げようとしない方がいいな」ということです。

 

私自身少し経験があるのですが、自分をアゲて前向きになるやり方は、ある程度期間が決まっている時には有効ですが、終わりが無い・あるいは見えない時には危険だという事です。いつかエネルギー切れを起こし、焦りと罪悪感、無力感をより強く感じるようになると思うからです。

今無理に前向きにふるまうことは恐らく自分には合わない。今は落ち込んだり揺れたりすることを少し許して、ちょっとペースを落とし、気持ちが動くことを少しずつやっていくのがいいと思います。そして色々な力(ブログ、精神腫瘍科、5years等)を自分のペースで使い、少しでもストレスを小さくしたいと思っています。

何よりも自分を守らねばと思います。

 

 

5、最後に

とは言えこの先のことを考えると怖くて仕方ありません。不安感が大きく精神的にギリギリだと思います。

私達はまずは放射線科を受診し、腫れて痛みのあるリンパ節部分に対処してもらいます。その後は主治医と相談し、この先どうしていくかを考えていくのだと思います。

 

唯一の救いは抗がん剤治療をストップすることにより、今出ている様々な副作用が小さくなっていくということです。足の出血、倦怠感、脱毛、静脈炎等は少しずつ癒されていくでしょう。

そして去年の2月~6月頃までの休薬期間、がんは私達の心配に反して、大きくなるどころか小さくなりました。体が少しでも楽になれば、エネルギーが生まれます。私は母の生命力に希望を持つと共に、肺炎が治まり新たな治療選択肢が生まれることを心から祈ります。

 

「まずは一つ一つ、一日一日。どんなに焦っても一回で出来ることは少ない。1年後のことなんか誰にもわからない」と、自分に言い聞かせて日々を過ごしていきたいです。

あとは自分が楽しい、やりたいと思う事をやることを自分に許したい。スモールステップで目標に近づいていきたいです。

「俺まだなんにも親孝行出来てないよ。心配しかかけてないよ。もっと長く一緒にいたい。もっと色々なものを見せたい。もっと色々してあげあたい。自分の成長した姿を見せたい」と思います。

 

どうか2022年が良い年になりますように。私は心から祈ります。