家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

苦しい中で感じた光

皆様こんにちは。もち丸です。

 

いきなりですがまた絶望の更新です。

先日入院している病院で、母がコロナに感染してしまいました。これ以上ない程の厳しい状態です。

最近はテレビで報道しなくなっただけで、コロナは変わらずにあります。そして全国あちこちでクラスターも発生しているようです。

どうか重症化リスクが高い方、またその家族の皆様は、くれぐれもお気をつけください。

 

さてここからが本題ですが、私は今とても苦しい日々の中でも、感じた希望や光があることを以前チラッと書きました。今日はそのことに焦点を当て、記事を書いていきたいと思います。

 

 

 

 

1、やっぱり緩和ケアは辛い

緩和ケアは積極的治療は行わず(人によっては治療と並行することもあります)、痛み等の苦痛を緩和し、その人が穏やかに過ごすことを目的としています。

私は正直「穏やかに最後の時を過ごす」という意味を強く感じています。

確かにある意味では穏やかなのかもしれませんが、私にとっては地獄です。いつ事態が急変するかわからず、電話が鳴るたびに胸が苦しくなります。

その為心からリラックス出来る時間などありません。

 

そして恐ろしいことにこの先、私達家族にとって辛い出来事が起こるのであろうことが予測されます。

「母さんが何をしたっていうんだよ。どこまで地獄を見せてくるんだよ」と、怒り、悲しみ、恐怖、不安、焦り、後悔…様々な負の感情が混ざった正に苦の極地です。

 

でも母が緩和ケアに入ってから、感じた光もあるのです。

 

 

2、病棟の空気感

緩和ケア病棟に初めて入った時に思ったことは、緩和病棟は明らかに一般病棟とは雰囲気が違うということです。一番最初に気付いたのは「音」です。

 

とにかく凄い静かなんですよ。一般病棟や外来で感じるような、ガヤガヤした騒音がありません。

狭い場所に多くの人がひしめきあっているような感じがなく、一人に対してゆったりとしたスペースが用意されている印象です。

その為私は初めて病棟に足を踏み入れた時、その静かさに安心というよりは、不気味さや不安を感じました。「あー、明らかに今までとは違うんだな」という気持ちです。

 

 

3、スタッフの方々の気遣い

そして緩和スタッフの方との関係性にも、これまでの一般病棟、外来とは違う印象を持ちました。

 

これまで主治医、看護師、相談員等、多くの方と接しましたが、接する密度が濃いのです。これまでは診察時のみ主治医・看護師と接点があるといった感じでしたが、緩和ケアでは主治医も看護師も私達家族に対して、時間を作って話をする機会をつくってくれます。

その為これまでの診察時のように、「限られた時間で要点を絞って質問する」というような、慌ただしさがありません。

 

また母はスポーツが大好きで、今は高校野球世界水泳等、様々なスポーツ大会が開かれていますが、今母は自分でチャンネルを変えることが難しい為、看護師さんがその番組をかけてくれるのです。今母が出来ることと言ったらテレビの音を聞くこと位ですから。

 

他にも私達家族の写真を撮ってくれたり、先日はコロナにより面会出来なくなった私達を気遣い、母の携帯を耳元にあてて電話してきてくれたのです。

他にも言葉のチョイスや伝え方等、考えながら言葉を紡いでくれる印象で、もうスタッフの方には感謝しかありません。

 

 

4、初めて話せた想い

また少し前に相談員さんと話をする機会があったのですが、その時母が病気になってからずっと抱えてきた私の気持ちを、相談員さんが聞いてくれました。

「自分が母にしてあげたいことが全く出来ていないこと」、「この歳になっても母に心配ばかりかけていること」、「このままでは大きな罪悪感が残ってしまうこと」等々、ずっと心に残っているものでした。

 

そしてその気持ちを聞いてもらえた時、やっぱり安堵するんですよね。例え解決しなくとも。

私自身ずっと感じてきた事ですが、この思いは決して薬では癒せない部分です。

例え薬で不安感を軽減出来たとしても、自分がずっと抱えてきたことそのものには、薬は届きません。

そこを癒すことが出来るのは、やはり人に話せた時、それを理解してもらえた時、それによる安堵にしかないように思います。

 

このように患者である母だけでなく、家族に対しても丁寧に真摯に寄り添ってくれる、緩和ケアに関わるスタッフにはそのような心遣いを感じます。

 

 

5、「医師ー患者」を超えた気遣い

私は母の緩和ケアに関わってくれる全ての人に感謝しています。主治医、看護師、相談員、ケアマネージャー、福祉用具事業者…

今緩和ケア関係者との関わりは、「診察時間のみ関わり、時間が過ぎたらハイ終了」というような関わりではありません。

 

少し前に母が肺炎再発、脳梗塞脳出血を発症した日、主治医は不在だったのですが、その日の夕方、主治医が直接電話してきてくれたのです。

その時私は辛い状況なのにも関わらず、とても満たされた気持ちになりました。「あ~、こんなにも真摯に対応してくれる先生がいるなんて」と感動しました。

そして考えたくないことではありますが、「何かあったとしてもこの病院でよかったと思うんだろうな」と思いました。そしてそんなことを思った自分自身自身に驚きました。

 

やはり「医師と患者」の関係性、つまり「治療を提供する側と受ける側」という関係性であっても、その部分を超えた人間的な気遣いや態度に、私は救いや光を感じました。

この先とても恐ろしいことが待っているのかもしれませんが、最後の最後に病院や医師等スタッフの皆様に、救われる思いがしました。

 

 

6、最後に

緩和ケアに限らずいわゆる「生老病死」には、多くの場合他者が関わることになります。

その際「どんな人と関わるか」によって、私達の気持ちや感情は大きく左右されることになるのかもしれません。もちろん関わる人達を私達が選ぶことが出来ないケースも多いですが。

 

私は正直今でも母に生きて欲しい、奇跡が起きて欲しいと思っています。でも「母さんがお世話になるのがここでよかった」という、安堵感があるのも事実なのです。

今の状態を受け入れているとは言えない心境ですが、「この病院があってよかった」、「この人達でよかった」と思えています。

もちろん治療をしていた時には、こんなことを思うようになるなんて予想出来ませんでした。あくまで大事なのは「治療」であり、緩和ケアに行くなんて考えるのも嫌だったからです。

でも緩和ケアに入って初めて、自分の母や家族の状況の一部を、信頼して他者に委ねることが出来、苦しい中でも安心した気持ちを感じました。

 

また緩和病棟でたまに他の入院患者やその家族に会う事がありますが、私は勝手に同志のような気持ちを抱いています。

世の中には本当にいろんな人がいます。決して右肩上がりで順調に来た人ばかりじゃない。お金をたくさん稼いだり、大企業で正社員として働いている人ばかりじゃない。

生きたいのに生きられない、大きなものを抱えている人もいる。

 

でも皆そんな中でも必死に生きています。生きようとしています。

私はそんな方を想うと涙が出そうになる時もあり、励まされる思いもします。「お前もまだまだこれからだ。もっとしゃんとせい!」とお尻を叩かれているようです。

 

私はこれからもこのブログで弱音や愚痴等、他の方が見たら決して心地よいものではない文章を書くと思います。

それは「やっぱり諦めきれない、まだまだこれから」という思いを捨てることが出来ないからです。

今回この記事をかいて、そんなことを思いました。

生きていてくれるだけで嬉しい。でも本音は...

皆さんこんにちは。もち丸です。

最近は物凄くバタバタしていて、落ち着かない日々を過ごしています。マジでキツイ!

 

詳しくは後述しますが、6月頭から母の調子が一気に崩れて入退院を繰り返し、現在は緩和病棟に入院しています。

間違いなく今までで一番の修羅場です。

少し長文になりますが、自分の気持ちを吐き出す意味でも、文章を書いていきます。

 

 

 

 

1、状況が崩れた日

この激動の一番最初のきっかけは、6月初め肺炎発症から始まりました。

 

最初体調が悪そうな母を見た時は、「今ステロイドを減らしているからその影響かな?」と思いました。

ところが段々と意識ももうろうとしてきたようで、ただごとではない感じがして、救急車に来てもらいました。

 

母は近所の噂好きの人のことを気にしていたので、出来れば直接病院に連れて行きたかったのですが、それすら難しそうでした。

ただこの時結果的に自分でもファインプレーだと言える行動がとれたのですが、それは「事前にかかりつけの病院に連絡する」というものでした。まぁ実際はパニックになって、とりあえず電話しただけなのですが...

 

ただパニックになりながらも病院に電話したことで、受付の人がすぐさま主治医に確認をとってくれ、「救急車が来たら、うちの病院で主治医が対応する準備が出来ていると伝えてください」と言ってくれたのです。これは本当にありがたかった。これによりスムーズな病院受け入れに繋がりました。

 

 

2、肺炎発症、修羅場の始まり

診断は誤嚥性肺炎」だろうとのことでした。

正直かなり厳しい状況であるとのことで、覚悟しておいた方がいいとまで言われました。

そして突如入院が決まり、ストレッチャーで病室まで運ばれましたが、別れ際しっかりと顔を見ることが出来ませんでした。

その時思ったことは「しまった!」です。

 

コロナは5類になったとはいえ、病院にとってのリスクは依然高いままであり、面会制限も続いています。

その為母の状況次第では「あれが最後の別れ」になってしまう可能性があったのです。それに気づいた時、私は怖くてたまらなくなりました。

 

ただこの肺炎に関しては、母は医師も驚く程の回復ぶりを見せてくれ、無事退院することが出来たのです。

この時は心の底から嬉しかった。「やっぱり母さんは強い!」と思いました。また母さんとこれまで通りの日常を過ごせることが出来ると感謝しました。

 

 

3、事態急変の兆し

そして母の体調は万全とは言えずとも、再び家で一緒に過ごせるありがたみを感じていましたが、その日々はまたしても崩れることとなりました。

まず始めは脳腫瘍の再発です。

 

母は抗がん剤による治療が終了してからも、別の病院で頭部の定期健診は行っていました。

治療が出来なくなっても脳腫瘍の再発が無いという状況は、私達にとって辛い状況の中での一つの支えでした。母も「頭だけは最後までハッキリしていたい」と言っていましたから。ですがその期待は一瞬で崩れました。

それは母と一緒に診察室に入った瞬間、PCに移っている画像に白い部分を見つけたからです。それを見た瞬間察してしまいました。

結果は再発です。しかも数もかなり多い。4ヶ月前は大丈夫だったのに!

 

もちろん再発の可能性はずっとあったのだと思います。でも心のどこかで「大丈夫」と思っていたかった。体のがんが大きくなっていたとしても、脳だけは再発して欲しくなかったです。

なんとか頭は無事な、以前の母さんのままでいて欲しかったです。

 

そして可能な限りのガンマナイフ治療をすることになりましたが、今回はこれまでの治療と違い、全ての腫瘍に対処することは出来ないとのことでした。つまり一時的に状態が改善したとしても、その間他の腫瘍は大きくなり続けるということです。

「これじゃあ先延ばしにしかならないじゃないか。一度でいいから脳腫瘍が0の状態になってくれよ」と思いました。

 

 

4、更なる絶望の更新

そしてショックを受けながらも、まだ治療をすることが出来るんだと前向きになろうとしていた次の日、再び事態が急変します。

 

朝から母の様子が明らかにおかしいのです。着替えやトイレ等のこれまで出来ていたことが全く出来ない。これは6月初めに肺炎になった時と様子が似ていた為、「もしかして肺炎の再発か?」と疑い、再び救急車でかかりつけの病院に運んでもらいました。

そして担当医から衝撃の結果を告知されました。

「肺炎を発症していて、更に脳梗塞、脳内出血も発症しています。危険な状態です」と。

 

体力が落ちている母にとっては、肺炎だけでも危険です。それが今回は脳梗塞?脳内出血?訳が分かりません。

 

「緩和ケア」+「肺炎」+「脳腫瘍」+「脳浮腫」+「脳梗塞」+「脳内出血」

 

なんだこれ。頭では理解出来ても心は気持ち悪く感じている。ちょっとキャパオーバーどころじゃないです。誰が聞いたって絶望じゃないですか!

こんなん心が持つわけないですよ。「どんだけ地獄を見せてくるんだ。もうやめてくれよ」という心境です。

 

そしてその日急遽、緩和病棟に入ることになってしまいました。もうガンマナイフ治療どころの話ではありません。

 

 

5、なんとか繋いだ希望

私は「緩和ケア」という言葉が嫌いでした。いくら「痛みが取れれば生活の質が~」と言っても、緩和ケアは積極的な治療を行なわず、痛み等の苦痛を和らげることが目的です。

そして「母さんはもう治療が出来ないから緩和なんだろ!最後を過ごす場所なんだろ!」と思っていました。

そして入院時に、延命処置を行わない旨に同意する誓約書にサインもさせられました。

今まで数多くの書類にサインしてきましたが、これには手が震えました。父が「お前だけのサインにはさせない」と言って、連名してくれましたが...

出来れば治してほしかった。苦痛を軽減することが大事なのはわかっていますが、治って欲しかった。

 

ですが今は緩和ケア、緩和病棟という存在に感謝しています。(このことについては別記事で詳しく書くつもりです)

明らかに一般病棟と違う異質な感じに戸惑いもありますが、患者だけでなく家族にも寄り添ってくれる印象です。診察時間だけの付き合いではなく、私達の生活に入ってきて力になってくれる印象です。

 

ただガンマナイフ治療に関しては、脳出血脳梗塞、肺炎ということもあり、治療出来ずにそのまま送り返されるかもしれない不安もありました。

ですが主治医を始めとするスタッフの皆さんが、様々な調整に尽力してくださり、無事治療を行うことが出来たのです。

今回関わってくれた皆さんには感謝しかありません。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

ちなみに補足なのですが、病院間の移動には介護タクシーを使いました。

当初の予定では私が運転する車で連れて行く予定でしたが、病院の相談員さんいわく、「運転中にお母様の状態が急変したら、安全運転にも支障が出るかもしれませんよ」とのことでした。

実際家族を病院に連れて行く途中で不測の事態が起き、それによって冷静さを失い、事故を起こしてしまうケースは少なくないそうです。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

6、再び地元の病院に転入院

そしてガンマナイフ治療を終え、元居た病院の緩和病棟に戻ってきました。

その時私が感じたことは、「あ~、ホームに戻ってきたな」という安堵感でした。

あれだけ緩和病棟に複雑な心境を抱き、辛い場所だったにも関わらずです。

 

その要因は私達に対して真摯に対応してくれる、スタッフの方々がいるからです。

私達が再び病院に戻ってきた時、皆私達のことを歓迎してくれたように感じました。「おかえりなさい」とも言ってくれました。

 

正直そのような人達のことを、一人の大人として、人間として格好いいなと思いました。それは「自分もあんな風に仕事がしたい」と憧れの気持ちを抱く程でした。

 

 

7、不安がなくなったわけじゃない

とはいえ心から安心することが出来ないのが、緩和ケアの辛いところです。

今回のガンマナイフ治療で脳腫瘍に関しては、一時的に改善がみられるとは思います。

それでも緩和ケアの大方針は、「苦痛の緩和」です。治すことが目的ではありません。

 

現在母は脳梗塞脳出血の影響で、体の左側が知覚出来ない状態になっています。これは動かすことが出来ない半身不随とは違い、「空間無視」といって目は見えてるのに脳の方で情報を処理出来ない状態とのことです。その為今はほぼ寝たきりで全介助状態です。

母は昔からしっかり者・頑張り屋で、自分のことを全て一人でやってきた人です。それが今は食事や下の世話を、人の力を借りなければ出来ないのです。見ている私達も辛いですが、母もどんな気持ちを感じているのか...

 

母は「最期も頭だけはしっかりしていたい」と言っていましたが、それが今は難しい状態です。願わくばガンマナイフ治療によって少しでも良い方向に行きますように。

 

 

8、生きてくれるだけで嬉しい。でも本音は…

今のところ母はなんとか持ちこたえてくれています。そして生きている母を見て、「生きていてくれるだけで嬉しい」と心の底から思います。

ただ「生きていてくれるだけで嬉しい」のは間違いないのですが、正直「生きていてくれるだけでは足りない」とも思ってしまうのです。

 

今母はほぼ寝たきり状態です。自分の意思で動くことが出来ず、今まで好きだった漢字ナンクロや読書も出来ません。たった一か月前までは全て出来ていたのに。

今は写真を見せても焦点が合わず、意識にもかなりの波があります。

 

本音を言えばまた以前の母のように、一緒に話をして、一緒に家で過ごしたいです。私の愚痴や不安なことを聞いて欲しいです。これすら贅沢な望みなのでしょうか。

 

いつか親との別れはきます。私は覚悟は出来ていませんが、病気が病気なだけにその時は凄く遠い未来ではないのだろうなということは、うすうすはわかっています。

でもいざその時が来たと思ったとしても、私の本音は「辛い、頼む、助かってくれ」という気持ちなのです。

 

 

9、最後に

「生きてるだけで嬉しい」

私も言葉としては今まで何度か目に、耳にしてきた言葉です。でも今は心の底からこの言葉の意味がわかります。

でも出来れば前みたいに色々と話したい、買い物に出かけたいと思います。

病院のベッドではなく、家で一緒に過ごしたいです。旅行なんて行けなくていいです。外食にも行かなくてもいいです。

 

ただ日常に母がいて、自分が作業している後ろで、テレビを見ながらうたた寝している母を感じる、そんな何でもない日常を心から望みます。

神様が気まぐれで、何か状況が良くなるスイッチを押してくれないかという、非現実的なことを考えることもあります。

どうか苦痛が少なく、長生きしてください。お願いします。

見なければならない辛さ

皆さんこんにちは、もち丸です。

 

最近の気温差にはまいりますね~。ただでさえストレスMAXなのに、この気温差には流石に体がついていきません。子供の頃は気温差なんて気にしたことはなかったのですが、これが年をとるということなのでしょうか。

まぁ常にストレスがある分、余裕がなくなっている感じですね。

 

さて今日は家族として、「母が痛い・辛い」と訴える姿を、ただ見ていることしか出来ない苦痛について書いていきます。恐らく今家族を介護・看護している方は、皆この気持ちを感じているんじゃないかなと思います。

 

 

 

1、痛みの辛さ

様々な痛みを日々感じ、辛そうにしている母を見るのは辛いです。

マジで辛い!

 

また現実逃避なのかわかりませんが、母が訴える痛みに対して、何とかがん以外の原因を見出そうとしてしまいます。もちろん実際に母の感じている痛みや不快感の原因は、100%がんから来ているわけではないのですが。

 

実際母の体のがんは、リンパ節以外はそれほど大きくなっておらず、痛みの原因が特定出来ない部分も多いのです。そして痛みの原因はがん自体はもちろん、薬の副作用、栄養の偏り、筋肉の衰え等々、複数の要因があるようです。

 

でも「がんが大きくなって欲しくないという願望」「原因がわからない不安」から、なんとかがん以外の原因であって欲しいと思ってしまうのです。もちろん今書いていて、自分でもかなりバイアスがかかっているという自覚はあります。

 

 

2、痛みをコントロール出来ない

今は様々な媒体で「がんによる痛みや苦痛はかなり改善出来る」と言われています。もちろんそれは間違いないことだと思います。

ですがやはりどうにもならないことも多いです。事実母は脇下のリンパ節部分がかなり大きくなってしまい、ピリピリした痛みが強いようです。

主治医は神経性疼痛に効く薬を処方してくれましたが、母にはあまり効果がありませんでした。

 

ちなみに母の脇下部分は間質性肺炎の後遺症が残っていること、病原が神経に絡まり合っていること等から、手術も放射線治療も難しいそうです。

その為薬による緩和が出来なければ、痛みを軽減する手段がありません。

それはあんまりです。何のための緩和ケアなんだと腹が立ちます。

 

また他にも苦痛がある部分は多いのですが、数値や画像には異常が無い為、先生も対処に困っている部分も多いです。

 

 

3、治らないならせめて痛みをとってくれ

「自分が病気で苦しむこと」「家族が病気で苦しむ姿を見てこちらが苦しいこと」、これは決して比較出来ない、というか比較に意味はないものだと思います。

母が「腰が痛い」と言っても無責任な励ましは出来ませんし、「今度また先生に訴えてなんとかしてもらおう」と言っても、「言っても何にもならないよ」という言葉も出てくるようになりました。

 

それに対して「話を聞いてあげるだけでいい」「傍にいてあげるだけいい」という話も聞きます。

でもそんな言葉はどうでもいい。頼むから母を生きるという前提の上で、苦痛を軽くしてくれと願うばかりです。

 

 

4、更に上がある絶望

母ががんになったこと自体、私にとってはとてつもなく辛い出来事です。

そしてこれまで

「完治出来ない」→「薬の効果が落ちてきた」→「薬が効かない」→「治験が受けられなくなった」→「もう治療が出来ない」

と、ステージが変わる度に絶望を感じてきました。その度にもう立ち直れない程苦しんできました。それなのにそれを更に上回る絶望があるのです。次々と苦しみを更新しているのです。

そして今度は「有効な緩和手段が見つからない」という絶望がありました。もうこれ以上は耐えられそうにありません。

 

母は「私が死んだらもう苦しくなくなるってことだから、悲しまなくていいよ」と言いますが、そりゃないですよ。

生きていて欲しいですが、生きているからこそ辛いのです。

 

 

5、まだ自分たちが使っていない持ちカード

現時点で母が少しでも楽になる可能性はないのだろうかと考えた時、浮かぶものが二つありました。それは

  1. 看護師等に話を聞いてもらう(母が)
  2. ケアマネージャーに相談する

です。

 

①看護師等等に話を聞いてもらう

私は昔神経症(強迫性障害)に10年以上苦しんだ経験があります。それについてここでは触れませんが、苦しさの一つに「苦しさが人に理解されにくい」ということがありました。

 

「本当に辛いのに、分かってもらえない」

 

これ自体も苦しみです。でもその分その苦しみを理解してもらえた時、共感してもらえた時、例え病気は治っていなくとも、心から安堵するのも事実です。

 

私は自分が神経症になって良かったとはもちろん思いませんが、以前よりは自分の苦しさや考えを人に訴えることが出来るようになりました。

まぁこれは成長というようなきれいな言葉ではなく、本当にギリギリまで追い詰められたことで、自分だけでは抱えきれずに、外に助けを求めざるを得なくなったというだけなのですが。

 

また私の家族は比較的内向です。父も母も友人はほとんどおらず、人に相談するということをほとんどしてこなかった人間です。

その為私が「看護師さんに話を聞いてもらおうよ」と訴えても、「何の為に話すの?」と返されて終わりです。

私は誰にも気付いてもらえない気持ちを吐き出せた時の、癒しの効果を知っています。その為例え直接痛みを取り除くことが出来なくとも、胸の内を吐き出せる人が、母に出来て欲しいなと願うのです。

 

 

②ケアマネージャーに相談する

現在私の母は介護保険を既に取得していて、要介護2の状態です。ですがまだケアマネージャーに相談したことがありません。

その為私自身は早くケアマネージャーと連携したいと考えています。ところが母や父はあまり乗り気ではないようなのです。

以前別の病院でも「なるべく早めにケアマネさんと連携した方が、本人も家族も楽になれる可能性が高いですよ」と言われたんですけどね。

 

私も本を読んだり知人の話を聞いたことで、ギリギリまで家族だけでやって、どうにもならなくなってから相談するよりも、早めに相談した方が結果として全員の負担が軽くなり、物事もスムーズに進むのだろうと思っています。

それに客観的に判断出来る人の存在は、物事を自分達だけで抱え込む危険を軽減出来ます。

さてどうしようかな…

 

 

6、見ていることしか出来ない辛さ

私は「自分が病気で苦しいのも辛いが、家族が辛そうにしている姿を見ていることしか出来ないことも辛い」と思います

逃げ出したい気分になることもありますが、結局逃げることは出来ないんですよね。そしてコロナ感染による重症化リスクが高いことから、私自身の気分転換もなかなかうまくいっていません。

 

母に長生きして欲しいのは間違いないですが、母が生きている限り母の苦しむ姿を見ることになるのです。もうどうしろって言うんでしょう。

一日でも早く画期的な治療法や新しい緩和手段が確立されて欲しいです。何か治験に参加出来ないかなあとも思います。

 

 

7、最後に

この記事を書いていて改めて思ったことですが、自分の気持ちを言葉にすることが出来るようになっていてよかったと心から思います。

心身に入ってくるストレスを少なく出来ないのなら、アウトプットを増やすことでバランスをとるしかありませんよね。何となくダムの放流が浮かびました。

 

後は今の状況でも楽しみに出来ている、ゼルダの伝説「ティアーズオブザキングダム」をプレイして、現実逃避でもするしかありませんね。

現実逃避というと悪いイメージがありますが、このような状況なら少しくらい現実逃避をしても許されるでしょう。

 

今私と同じような状況にいる方へ。

辛いですね。そしてどうにもなりませんね。それでも奇跡を祈る気持ちを捨てられない。

覚悟を決めなければという気持ちと、結局は決めきれない気持ちの間を揺れ動くしかない現実に、少しでも救いがあって欲しいと思います。

母に対する無力感

皆さんこんにちは。もち丸です。

私は最近日々母に対して無力感を感じています。「母は毎日辛い症状があるのに、自分には何も出来ない」という無力感です。

今回は気持ちの吐き出しなので、いつもよりは短めの記事になっています。

 

 

 

1、母の体調は今一つ

最近母の体調は今一つです。肩こり、足のむくみ、手足のつり、腰の痛み、息苦しさ等、毎日不調に悩まされています。

ステロイドの服用により、食欲や行動力はあるのですが、毎日毎日嫌になるはずです。

私なんて体に一つ気になる症状があるだけで、気になって仕方なくなるのに…

 

でも母が「~が痛い」と訴えても、直接痛みを軽くしてあげることは出来ません。出来ることと言えば話を聞いたり、代わりに物を運んだり、肩や足を揉んであげることくらいのものです。

自分がしたい親孝行はそういうことではない。それはまだ出来ていない。

 

 

2、受け流すことへの罪悪感

今は母と一緒に過ごしている為近くでサポート出来る分、毎日毎日母の姿を見て、苦痛の言葉を聞くことになります。

さすがにその全てに反応しているとこちらももたないので、最近は苦痛の訴えの何割かを意図的に受け流すことがあります。でもその後その対応を取った自分に自己嫌悪を抱いてしまうんですよね。

 

 

3、母と病気に対する怒り

それと理不尽な話ですが、母に腹が立ってしまうことがあるんです。

「頼むよ、治ってくれよ」という思いです。

もちろん口が裂けてもそんなことは言えません。母自身が治るものなら治りたいと思っているはずですから。

 

それともう一つ腹が立つことがあります。これまでもブログで何回か書いてきましたが、母は病気発覚前、何年も健康診断を受けていなかったのです。極度の病院嫌いなのです。

私は「あの時病院に行っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないんだぞ!」と腹が立ちます。

もちろん毎年健康診断を受けていても、病気が発見されないことはあります。でも母は病気が分かった時点で、いくつもの転移がありました。その為「これだけ転移があれば何らかの検査に引っかかっていたのではないか」という考えは拭えません。

 

「もう少しだけでも早く見つかっていれば」、「無理やりにでも病院に連れて行っていたら」と思わずにはいられません。

「なんだよステージ4って。手術も出来ない、放射線治療も出来ないなんて地獄かよ。なんにも悪いことしてないのに」と、怒り、悔しさ、悲しさが溢れてきます。

 

 

4、母へのサポートも自己満足なのか?

私は日々母をサポートしているつもりではありますが、「ひょっとしたら自己満足なのではないか。親孝行出来ていないという罪悪感を、母をサポートすることで薄めているだけなのではないか」と思う事があります。

自分にお金があったら、行動力があったら、もしかしたら治療や生き方にも他の選択肢を提供出来ていたのではないか…

そう思うことがあります。

 

もちろんそういったことを他の人が自分に相談してきたとしたら、私はきっと言葉を選びながら、少しでもその人の罪悪感を軽く出来ないかと思うでしょう。

でも自分に対してはそれが全然出来ないのです。いやあ辛いですね。

 

 

5、緩和ケアに対するモヤモヤ

しかしなんなんでしょうね。緩和ケアって。

治療と違って明確な道筋も目標もない。薬の種類と量の調整の繰り返しです。

毎回言いたいことをまとめて先生に伝えていますが、全ての症状に満足な対処は難しいのが現状です。せめて症状が緩和されればと、処方された薬に希望を持ちますが、思うように効かない時、「治療どころか緩和すら出来ないのか」と、怒り・無力感・絶望感にとらわれます。

 

正直キツイですよ。やってられなくなります。

何人かに「なるべく笑顔でいよう」と言われましたが、「なるべく笑顔で?そんなこと出来るわけないだろう!」と腹が立ちます。

私と同じく家族をサポートしている人には、少しは私の気持ちが通じるのでしょうか…

 

 

6、最後に

わずかな希望を持って治療をしていた時期が、かなり昔のように感じます。その時は可能性は少なくとも、わずかでも希望を持てていた分、精神的にはかなりマシだったように思います。

 

老いは程度やスピードの差はあれ、誰にでも訪れます。でも病気に関してはなる人もいればならない人もいます。やっぱり公平とは言えないですよね。

 

今私と同じような状況にいる方達へ。今閉塞感を感じていますよね。先のことを考えると不安と恐怖しかないという人もいるのではないでしょうか。

気の利いたことは言えませんが、私は同じような苦しさの中にいます。あなたの苦しさに少しは共感出来ると思います。

最近気温差も大きいので、どうかお体には気を付けて。例え現実的ではないとしても、奇跡を祈り、日々丁寧に過ごしていきたいですね。

随筆 コロナに対する不満

皆さんこんにちは、もち丸です。

今回は自分が日々感じている「コロナに対する感覚の違い」について書いていきたいと思います。

 

私は「家族や仕事の状況によって、コロナに対する考え方は人それぞれ」ということを、頭では理解しているつもりです。

ちなみに私はこれまで述べてきたように、コロナに対して高い危機感を持ち、感染対策を徹底しています。

ただ今回の記事は自分の正しさを押し付けるものではなく、他の方と議論するつもりもございません。あくまで私の愚痴吐きのようなものです。

 

その為「コロナに関する一連の流れは陰謀だ」、「コロナは大したことない」といった考えをお持ちの方は、この記事を読まずにお帰り頂ければと思います。

 

 

 

1、自分は何故コロナを恐れているのか

これまでも触れてきましたが、私の母は現在肺がんの緩和ケアを受けていて、間質性肺炎にかかったこともあります。また父は重度の喘息があり、二人ともコロナ重症化リスクはかなり高いと言えます。

また以前抗がん剤治療中を受けていた時は、骨髄抑制等の影響から感染症に要注意な時期もありました。

 

私が一番怖いのは、自分がコロナになって苦しむよりも、自分が両親にコロナをうつし、最悪の事態になる可能性です。

そのことについて両親は気にしなくていいと言ってくれていますが、もしそうなったら恐らく私は自分を許せず、生涯自分を責め続けるような気がします。

そのような状況になることに比べたら、感染対策を徹底し息苦しい思いをする方がまだマシだと思いました。

 

私の周りにはコロナによって亡くなった方、重症化した方もいて、ワクチン接種済み・ワクチン未接種の方両方がいます。(ワクチンについてはここでは触れません)

そしてその方の家族はコロナの影響で面会も出来ず、最後のお別れも出来ないようでした。

そのような話を聞くと私は怖いです。ただでさえ母の状況がいつ変わるかという怖さを日々感じていることに加え、コロナによって突然その日が来てしまうと考えると、どうしても感染対策を緩める気にはならないのです。

 

コロナに対しては「ワクチンよりも免疫力を~」という声も良く聞きます。ですが私の母のように病気や薬の影響から、免疫力を上げたくてもそれが難しい人もいるのです。

 

 

2、変化への戸惑い

ここからは更に私個人の考えとなります。共感出来る人のみ読み進めていただきたいと思います。

 

新型コロナが2類から5類に変更されることが決定され、マスク着用に関してもルールや空気の変化が出てきています。

また季節も冬から春に変わりつつあり、人々の行動範囲も広がってきたように思います。

 

ですが母の看護をしながら感染対策を徹底している私からすれば、そのような変化に戸惑いと苛立ちを感じます。

ただ仮定の話ではありますが、私自身も家族の重症化リスクが高くなければ、行動範囲を広げていただろうと思います。友人と食事をしたりお酒を飲んだり、旅行割だって使いたいです。

でも今はまだそんな気分になれません。

いくらコロナが弱毒化したとはいえ、持病がある人にとっては、総合的なリスクは変わらないのではないかと思います。

むしろコロナに感染する人が多くなることで、相対的に私も家族も感染する確率が上がるとさえ思います。

 

 

3、「2類?5類?」

私個人としては、コロナの5類移行には疑問を感じています。これは本当に考えは人それぞれだと思います。

 

ある程度治療方針が確立されているインフルエンザと、新型コロナが同じ分類だとは現時点では思えません。(もちろん人によっては重症化や、亡くなる方もいますが)

また5類になったことで、コロナに対応出来る(する)病院も、すぐに増えるとは思えません。やはり病院設備やマンパワー、ゾーンニングの分離等、対応する為のハードルも高そうです。

 

私は「ただの風邪がここまで後遺症を残すのだろうか?」と思います。少なくとも私はまだ、マスクを外して人と至近距離で話そうとは思えません。

 

 

4、周囲への苛立ち

ですが人々は徐々に動き始めています。もちろん今も私と同じように感染に気を付けている人もたくさんいるでしょう。

 

正直な話人々が動き始めているのに、未だ不自由を余儀なくされている状況に(自分で選んでいる部分もあるとは思いますが)、イライラしています。

「なんで俺は気が抜けないのに、他の人は動いているんだよ」という叫びです。

「あんたらが楽しく動いたら、そのツケがこっちに来るかもしれないんだぞ」という思いです。

 

私がコロナ前まで参加していたバドミントンサークルのメンバーも、皆当たり前のように活動しています。まぁ緊急事態宣言中でも、彼らは普通にバドミントンをしていましたが...

その人達にも対して「怒りや失望」のようなものを、感じるようになってしまいました。

 

 

5、その一方で

そのように人と距離を感じるようになった一方で、私と感覚が近い人達もたくさんいることもわかりました。

人によって「持病があるから」、「医療従事者だから」、「コロナが重症化して大変だったから」等、感染に気を付ける理由は様々です。

 

これって本当に難しい問題ですよね。「自分の周りに感染者があまりいない」、「コロナになっても軽症だった」という状況であれば、「コロナなんてただの風邪だよ。それよりも過剰な対策が及ぼす弊害の方がでかいじゃん」といった考えになるのも無理はないと思います。

一方自分や周りがコロナで苦しい思いをしたとしたら、「やっぱりコロナは風邪じゃないんだよ。皆危機意識が低すぎだ」となるでしょう。この両者の溝は、なかなかに根深いものです。

 

やはりコロナに対する考えの違いは、人に分断をもたらし、人の攻撃的な部分をあらわにしてしまったように感じます。(自分も含めて)

なんとかお互い攻撃的にならず、尊重することが出来ればいいんですけどね。

 

 

6、自分はどうするか

結局は「じゃあ自分はどうするか」ということですよね。どうしましょうね。

 

個人的には少しずつ行動範囲を広げていきたいと思っています。ですがマスクや消毒等の感染対策は、これからも続けるつもりです。

幸い自分の境遇を知っている友人が色々と声をかけてくれているので、誘いにのってみようかなと思います。やっぱりちょっと心配ですけどね。

最近人間もやっぱり動物なんだなあと感じます。暖かくなってくると巣(家)から出てくるものなんですよね。(笑)

 

 

7、最後に

ここまで心情を書いてきて、少しスッキリしました。やっぱり考えや感情を飲み込んでいると心身の流れも滞り、体調は悪くなりますね。

やはり人間の心身の健康には、「新しいものを取り入れて古いものを出す。そうして循環や流れを良くしていく」ことが大切なんだなあと感じます。

 

最近母の体調はあまりよくなく、私のストレスや心配事は依然大きいままです。そしてそんな自分の気持ちとは関係なく、社会は動き流れていきます。

その流れを無視してそこに留まろうとすると、自分も息苦しく、気付いたら自分だけが取り残されていたということになりそうな気がします。コロナの感染も怖いですが、そのこともすごく怖いです。

 

今自分に出来ることを少しずつやりながら、日々丁寧に過ごしていきたいと思います。

そして事態が少しでも良い方向に行く事を願います。

2023年新年挨拶 「新年に願いを込めて」

皆さんこんにちは。もち丸です。

少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

遂に令和5年、2023年が始まりましたね。今回は2023年最初の記事という事で、2023年に向けて今思う事を書いていこうと思います。

 

 

 

1、バタバタした年末年始

今年の年末年始は去年と比べてバタバタしたものとなりました。

母が昨年末から原因不明の湿疹が体中に出てしまい、かゆくてたまらないそうです。処方された薬もあまり効かず、主治医曰く「色々な薬を飲んでいる為、原因の特定が難しい」とのことです。その影響で緩和ケアにおける痛みのコントロールという本筋から少し離れている気がします。

痛いのはもちろん辛いに決まっていますが、かゆいのも耐えがたい苦痛ですよね。

 

更にもう一つアクシデントが。よりによって大晦日に母の歯の詰め物が取れてしまったのです。母は「早く正月に終わってもらって休み明けに歯医者に行く」と言っていました。

ですが私は「早く正月が終わって欲しい」と母に思って欲しくありませんでした。去年も思った事ですが「今年が母と過ごせる最期の正月かもしれない」と思ってしまいますので、少しでも正月をゆっくり楽しく過ごしたかったのです。

その為正月にやっている歯医者がないか調べた結果、市がやっている休日診療所に歯科があることがわかりました。

とりあえずの応急処置が出来れば、少しはストレスなく過ごせるよと母に説明し、連れていきました。そのおかげで正月をゆっくり過ごすことが出来ました。

 

後は本当にのんびりとした正月でした。特別なことはしませんでしたが、おせちを食べお酒を飲み、駅伝等の正月番組を見て過ごしました。正月特有の社会全体が少し緩んだ感覚というのがなんとも言えず落ち着くんですよね。

そして家族全員で写真を撮り、家族全員で正月を迎えられたことに感謝しました。

 

 

2、2024年の目標

さて私個人の2024年の目標は大きくわけて二つあります。

 

①就職

私は前職退職後の転職活動中に、母にがんが見つかりました。当初は医者から「もう長くないかもしれない」と言われていたので、就職活動を中断し、母と過ごす時間に充てていました。

そして抗がん剤治療やガンマナイフ治療が少し落ち着き、そろそろ自分の今後を考えないとと思い始めた矢先、新型コロナ流行が始まりました。

母は肺がん、更に骨髄抑制等の影響から、コロナ感染は命の危険に直結すると言われていました。その為私自身が感染を極度に恐れるようになり、徹底した行動自粛を心掛けるようになりました。正直気が狂いそうではありましたが、自分のせいで母にコロナをうつしたらと考えると、どうしても行動のアクセルを踏めないのです。

 

ですがまだまだコロナは収束しそうにありませんし、いい加減自分の生活を立て直さなければなりません。

正直ブランクが長くなってしまったことや、スキル・年齢的にもかなり焦っています。そして今私は後悔や不安に飲み込まれているのですが、私自身がしっかりと楽しく生きている姿を見せることが、母はなによりも喜ぶと思います。問題は山積みですが、少しずつ頑張っていく次第です。

 

 

②国家試験受験

私は現在2023年の国家資格受験に向けて、勉強をしています。

これまで順調に人生を進んできた人にはあまりピンとこないかもしれませんが、自分の立ち位置や目標・希望を失っている状態というのは、本当にキツイです。自分が社会から切り離されているように感じますし、他の人が皆輝いているように見える一方、自分だけが進めていないという無力感を感じます。

 

そこで「今この状態で何か出来ることはないのか」と考えた結果、就職活動と並行して資格の勉強をすることにしたのです。

私はこれまでもいくつか資格を取得してきました。その度に「これは逃げている時間を稼いでいるだけなんじゃないか」とも思ってきました。

ですが終わりが見えない苦しみの中にいる時には、少しでも何かに向かっている手応えを感じたいと思うのです。

やらなければならないことがたくさんあるのに、それを実現出来ていないと感じる時、私は強烈に自分を責めてしまいます。そして「やらなければならないと自分が思っていること」を出来ていない時、その他の出来たことに意味がないと思ってしまいます。「確かにこれは出来た。でも肝心のあれは出来ていないんだ」といった具合です。

 

一方最近思うことですが、確かに「やるべきこと・向き合わなければならないこと」はあり、それは他でもない自分自身がやらなければなりません。だとしても自責感は決して自分にとって良いエネルギーにはなりえないということです。

だからこそ私は少し行動してみようと思います。元々勉強は好きな方ですし、母のこと以外を考える時間が、私にとって前向きな逃避になるような気がします。

 

 

3、家族の平穏を祈る

やはり今一番気になるのは母のことです。

母はかなり頑張ってくれていると思います。もしかしたらこのままほとんど進行せずに、長生き出来るかもしれない、奇跡が起きて良くなるかもしれないという思いを捨てずにはいられません。

以前そのことを友人に話したら、「大丈夫だよ。親は子供より先に逝くのが当たり前だから」と言われ、それ以来その友人とは連絡を絶っています(笑)。「何が大丈夫なんだよ。意味わかんねえよ」と思います。まぁ元々デリカシーのない人だったので、話す相手を間違えたのかもしれませんね(笑)。

 

私と同じような状況にいる人になら通じると思うのですが、正直何歳になっても自分にとって親は特別な存在なんですよね。自然の摂理だと頭では分かっても、その事実に直面した時は、簡単には受け入れられないし、諦められないですよ。高額な怪しい治療や宗教にすがりたくなる気持ちが私にはよくわかります。

 

「長生きして欲しい。でも苦しい思いもして欲しくない」

これは家族を支えている人の多くが思う事ではないでしょうか。

大きなことは望みません。ただ平穏に生きもっと色々と親孝行させて欲しい。どうか長生きしてくださいと心から願います。

 

 

4、最後に

さて2023年最初から暗~い記事になってしまいました。(笑)

でも今は綺麗なことだけを書きたい気分ではないのです。ですがやはり新年には期待を持ち、目標を掲げたくもありますね。

 

がんという病気を表現する時はよく「5年」という言葉が使われます。これは5年生存率という気に食わない言葉が基になっているのでしょう。

私の母は今年の8月でがんを診断されてから5年になります。もちろん治ったうえでの5年ではないので、意味合いは少し違いますが。

一般的に公表されるデータでは、肺がんは5年生存率が低いとされています。ですが緩和ケアに入った今、「そんなこと知るもんか!そんな一般論なんか覆してやる!」と強気になるのは難しいです。それでも今年も母と過ごしつつ、自分にとって良い年になるような行動をしていきたいと思います。

 

それでは皆様、改めて今年もよろしくお願い致します。2023年が皆様にとって実りある年になりますように。

2022年振り返り 「皆さんお疲れ様でした」

こんにちは、もち丸です。

もうすっかり年末ですね。12月は人によっては忙しい時期であり、また人によってはしみじみとした時期でもありますね。

私個人にとっても今年は本当に大変な年でした。

今回今年最後の記事になりますので、今年を少し振り返ってみようと思います。

 

 

 

1、母の治療が終わってしまった

今年は年初めからとても慌ただしかったですね。2021年初めに母が間質性肺炎になってしまい、それをきっかけとして一気に治療計画が狂ってしまいました。当初予定していた抗がん剤治療も行えなくなり、参加予定だった治験も中止。本当に泣きたくなりました。「なんでこんなことばかり起こるんだよ」と。

そして治療の最優先事項が「肺炎を悪化させない」こととなり、治療の選択肢も大幅に狭まりました。

そして2021年終わりに最後の抗がん剤治療を行い、今年2022年始めに治療が終了してしまいました。

 

もし間質性肺炎にさえならなければ、別の抗がん剤治療の選択肢もありましたし、リンパ節部分の放射線治療も行えたはずなのです。本当に辛い。

 

 

2、「あの時ああしていれば」の後悔

私はこの治療終了に関して、今でも後悔していることがあります。

2021年の年末年始、母は37.5度くらいの発熱と解熱を繰り返していました。ただ主治医に伝えても「腫瘍熱でしょう、問題なく治療出来ますよ」とのことでした。

ですが私はその時一旦抗がん剤治療を様子見し、しかるべき処置を行なっていれば状況は違っていたのではないかと思っています。

もちろん私は素人で本当のことはわからないのですが、「もっと強く先生に言っていればこうはならなかったかもしれない」と思わずにはいられません。

 

そして治療終了が決まった日は、私が精神腫瘍科を初めて受けた日でもありました。

私の精神腫瘍科初診日は、母の診察と重なっていたのですが、その時初めて母の診察に同席しませんでした。当時は毎週同じような感じで治療が進んでいましたし、母も「いつもと同じだろうからそっちに行っておいで」と言ってくれたからです。

そして診察終了後少しスッキリした気持ちで母のもとに向かったのですが、いつもと違い薬剤師に付き添われた母から、「治療が終了しちゃったよ」という話を聞きました。

その時の絶望感は今でもはっきりと覚えています。「なんで治る人がいるのに、俺の母さんが治療終わりなんだよ」と病院内で泣きました。

 

そんな私に母は「私が死んだ時はもう苦しまなくていいってことだから、泣かなくていいよ」と言いました。

こんな状況なのに母は私のことを心配しているのです。まぁ心配かけている息子だからと言われればそれまでなのですが、つくづく母の凄さとありがたみを感じました。

「俺にはこの母さんしかいない。長生きして欲しい」と心の底から思いました。

 

 

3、治療から緩和へ

治療が終了した後は同じ病院の緩和ケアに通い始めました。

もはや治療が出来ない以上、薬による痛みのコントロールしかありません。この苦しさ・絶望感は当事者にしかわからないと思います。

そして実際に母が感じる痛みも心情も、本当の意味では私にはわかりません。家族でも母の苦痛を軽くしてあげることは、本当の意味では出来ないのです。つくづく自分の無力さとがんへの憎さを感じます。

 

 

4、思い出作り

私は母が病気になってから、何か行事やイベントがあるたびに「これが最後かもしれない」と思ってしまいます。そして言いようがない寂しさや怖さを感じます。母もそれを感じているのでしょう。これまで以上に行く先々で家族写真を撮りたがります。

いつかこの写真が思い出となって「あの時はああだったな」と思い出すのかな思うと、もうね、たまんないですよ。正直私は立ち直れる自信がありません。この歳になっても情けないです。

 

でも母にとって貴重な時間は「私達家族との時間」のようです。その為息苦しさや歩きにくさがある母ですが、コロナには最大限注意しつつ、色々なところに出掛けました。

 

 

5、本当にどうにもならないのか

今母は治療をしていません。普通に考えればそれは「少しずつ病気が進行する」ということです。もちろん私はいまだに奇跡を捨てきれず、神様にお祈りしたり、新しい治療法が出来ないかをいつも気にかけています。

 

でも日々痛みや苦痛を訴える母を間近で見るのは、とても辛いです。いくら言葉をかけても「痛みという事実そこにあるもの」を直接軽くしてあげることは出来ません。

私は心配性なので、少し体に痛みや不調があるだけで心配になり、日常が乱れてしまうのに、母は常に痛みや不調を抱えているのです。そのストレスは私にははかり知れません。せいぜい母の頼みを聞いたり、出来る範囲でサポートするだけです。むしろ自分の悩みを母に聞いてもらう事の方が多い気すらします。

私は年齢的には結婚して子供がいてもおかしくない年齢です。なのに私は子供として未だに母に心配ばかりかけている。つくづく自分が情けなくなります。

 

 

6、自宅近くの病院に転院

母は今年の夏の終わり位までは治療を受けていた病院の緩和ケアを受診していましたが、今年の秋に自宅近くの病院に転院しました。

転院によって通院が楽になったというのは間違いなくありますが、なんだか見捨てられたような寂しさがあります。

しかも転院先の病院はコロナの影響で診療体系が変化し、緩和ケアにこれまでと同じような時間を割くことが難しくなっています。つくづくコロナが憎いです。早く滅べ!

ただ不幸中の幸いと言うべきか、転院先の先生は限られた時間の中でも親身に話を聞いてくれるので、「最悪ではないのかな」という気持ちです。

 

ただこれから先痛み止めの量がどんどん増えていくのかと考えると、怖くて仕方ありません。

私は最近神社や自宅の神棚で、「どうか母が苦痛が少なく、長生き出来ますように。そして出来ればがんを治してください」と祈っています。

 

 

7、今出来ることをやろう

ただ私は家族の看護というやるべきこと、ある意味での「大義名分」のようなものやコロナを盾にして、自分自身の行動が満足にとれなかったという反省点も大いに感じています。

「動かなければ!」「間に合わなくなる!」「でも動けない!」...

こんな風にアクセルとブレーキを壊れる程踏んでいた年のようにも思います。そして「このままじゃ一生後悔と不安にとりつかれたまま、人生を過ごすことになってしまう」という危機感が常にありました。

 

そして「今この状況の自分にも出来ることはないだろうか」と思った結果、ある資格の勉強をすることにしたのです。

私は劣等感が人一倍強い為、そこから来る「成長への飢え」も人一倍強いと思っています。そして目標が出来、やるべきことを持てた時の喜びを、私は誰よりも知っています。

決して楽にとれる資格ではないですし、この勉強が無駄になるかもしれないという思いもあります。それでも母も関係ない、自分だけの目標、やるべきことがあるというのは、ある意味とても大事で幸せなことだとも思います。

そして「絶対このままじゃ終わらないぜ。今に見てろよ!」と、毎日少しずつ勉強をしています。

 

8、最後に

さてつらつらと今年を振り返ってみましたが、なかなか悲壮感に溢れていますね(笑)。出来れば綺麗な形で今年最後の記事を纏めたかったのですが...

でも今回の年末年始も家族全員で迎えられそうです。それは本当にありがたいです。

2022年の正月を家族全員で迎えた時も、嬉しい気持ちと共に「次の正月は厳しいかな」という思いがありました。でも迎えられました。それは本当に嬉しいです。

願わくば痛みや苦痛のコントロールが上手くいき、来年も母が穏やかに生活出来るようになって欲しい、そして願わくば奇跡が起きて欲しいと思います。

 

ただもちろん私自身、嫉妬や後悔、劣等感に塗りつぶされず、自分の人生をしっかりと生きていきたいと思います。私がしっかりと楽しく生きている姿を見せることが、母に対する親孝行にもなると思いますからね。

とまぁ言葉にするのは簡単ですが、なかなか実行は難しい。まずは一つずつですね。

 

さて最後の記事も長くなってしまいましたが、皆さん今年もお疲れ様でした。

ご自身が闘病中の方、病気のご家族をサポートしている方、改めて本当にお疲れ様でした。

2023年が私と皆様にとって、穏やかで良い年になりますように。