家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

簡単な自己紹介です

皆様初めまして。もち丸と申します。

 

まず初めに軽く私自身のことをお話させていただきます。

私は現在30代後半、転職活動をしながら同居する家族と共に母のサポートをしています。

 

私は新卒時に入社した企業で体調を大きく崩したことがきっかけで自分の立ち位置が落ち着かない時期が長くあり、私自身が苦しかったことはもちろん、母にもずっと心配を掛けてきたと思っています。

そして本当に遅まきながら、当たり前だと思っていた日常がとてもありがたいことであること、時間には限りがあることを心から痛感しました。

「もっと早く自立出来ていれば」「早くしないと間に合わない」「自分が心配かけ過ぎたことで母は病気になったんじゃないか」等々、後悔や不安、罪悪感が消えません。

今は母に長生きして欲しいと心から思います。

 

そして母について。

私の母は2018年夏、肺がんステージ4との診断を受け、現在抗がん剤による治療を行っています。

最初にがんが見つかったきっかけは、母に認知症のような症状が出たことです。

始めにかかりつけ医にかかり、その後大きな病院の脳神経外科を紹介され、そこでMRIを撮ったことで転移性脳腫瘍が発見されました。

その時点で脳腫瘍は複数あり「その病院では手術出来ない事」、詳しいことは検査してみないとわからないが、「原発巣が肺ではないか」ということ、「他臓器への転移」が既にあることが明らかになりました。(このあたりの詳細はこれからの記事で書いていきます)

 

そして転院後の病院で、最初の治療方針を決める際に、「手術は出来ないので抗がん剤治療を行う事」、「完治が目標ではない事」を告げられました。

率直に言って絶望です。「まさか母さんが!」、「手術出来ないってなんだよ!」と思い、精神的にボロボロな状態になりました。

 

母の病気発覚後から今まで約3年、治療過程で薬の効きが落ちたことによる治療法変更や脳腫瘍の再発等々、様々なことが起き、心から気が休まる時はありません。

 

現在は抗がん剤による治療を行えているものの、完治は期待出来ないという絶望的な言葉を聞いている為、先のことを考えると本当に怖くて怖くて仕方ありません。

それでも完全に受け入れることは出来ません。今は最悪の事態を常に頭の片隅においているものの、覚悟を決めきることは出来ず、不安と期待の間を揺れ動いていて、とても苦しいです。

 

それでも人の体がどうなるかということは誰にも分からない事です。

私は奇跡を信じます。そして母と過ごせるありがたみを感じながら、日々丁寧に過ごしていきたいと思っています。

 

 

私はこのブログを自分の気持ちを吐き出す場所として使います。同時に同じような状況にある方にとって少しでも参考になればとの思いもあります。

記事の内容については現在の様子に加えて、これまでの出来事についても振り返りながら書いていく為、記事の掲載と時系列がかみ合わない時もあると思います。

また感情が乱れ、お見苦しい文章になることもあると思いますが、マイペースで綴っていきたいと思います。

 

それでは改めてよろしくお願い致します。