家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

今、母に思う事

皆さんこんにちは。もち丸です

突然ですが、私は今疲れています(直球)。治療中止からの緩和ケアへの移行、必要な手続き、そして自身の就活.....現実を受け止めきれず、本当に苦しいです。

これからのことを考えると、本当に怖いです。胃が痛い!

 

今回の記事では緩和ケアに向けた、ソーシャルワーカーさんとの面談内容をまとめます。

今は緩和ケアの初診を控えている状態で、今後どのような治療(緩和)方針にするかを、院内ソーシャルワーカーさんと話し合ったのです。現実的で酷く疲れる内容ではありましたが、感情整理の為にもその内容をまとめたいと思います。

 

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1、ソーシャルワーカーとの面談

とうとう積極的治療がストップし、緩和医療を受けることになった母。そして先日院内ソーシャルワーカーさん(以下SWさん)と面談を行い、今後どうしていくのかについて話し合いました。

これまでは「治療をしている」という意味で、わずかでも希望を持つことが出来ていましたが、緩和ケアとなるとその希望を持つことが難しく苦しいです。

ですが幸いこちらの訴えについて真摯に耳を傾けてくれる方で、少しだけ安心しました。あまりに淡々とした事務的な態度で進められるのはきついですから。

とは言えまだ気持ちが現実に追いついていない今の時点では、一回で飲み込める内容ではなく、これからもちょくちょくと相談にのってもらうことになりました。

 

 

2、どこで緩和医療を受けるか

まず緩和ケアの第一歩として、3月初めに同病院内の緩和医療科の初診が入りました。どうやら緩和医療科もかなり込み合っているらしく、すぐには初診を受けられない状況だそうです。

 

さて緩和ケアを受ける際には、どの病院で緩和ケアを受けるかを決めるのが初めの一歩です。やはり一口に緩和ケアと言っても、受ける時点での患者の病状や体力には個人差があります。その時点で体力が落ちている状況であれば、やはり自宅近くの病院で受ける方が楽だと思います。人によって通院環境は様々ですが、やっぱり通院って大変ですもんね。

 

ただ現時点では母はかなり元気です。抗がん剤副作用により足先に傷が出来ているものの、抗がん剤を止めた今では回復しつつあり、日常生活も一人で出来る状態です。

その為当面は今の病院の緩和外来に通院しつつ、呼吸器科の診察も並行して受診することにしました。そうすれば定期的に体全身の状態をチェックしてもらうことが出来、もし母の肺炎が落ち着いた場合は、新たな治療が受けられる可能性があるからです。(俺はまだ諦めんぞ!神様お願いします)

やはりいきなり全ての環境を変えることも大変ですし、体力があるうちは呼吸器科とのパイプを切らない方がいいと判断したのです。

 

 

3、それでも準備は必要

とは言え今後の為には今から様々なことを想定し、色々と準備しておく必要もあります。

今後状況が変わって自宅近くの病院で緩和ケアを受けたいと思っても、すぐに切り替えられるわけではないからです。「希望する病院が受け入れ可能か」「状況の変化に応じた対処をしてくれるか」等、確認しなければならないことも多いです。またそれに伴う手続きにも時間はかかります。今の精神的に苦しい状況にも関わらずやること・決めることが多く、かなり辛いです。

 

ちなみに母にとってどのように生活していきたいかについて、軸は「家」と「家族で過ごすこと」のようです。

そして「緩和ケア外来」があり、かつ「訪問診療」が出来る病院をいくつか紹介していただきました。「ここかな」という病院は決まりましたが、緩和ケアについてどのような雰囲気なのかは分からない為、正直その病院でいいのかは不安です。

でも問題無いのであればやっぱり病院は近いに越したことはありません。もちろん必要であれば時間をかけて望む病院に行く必要はありますが、やっぱり近い方が本人も付き添う家族も楽なんですよね。

 

この状況で「まだ現実を受け入れられてないのか」と思う事もありますが、この状況で奇跡を祈るのはいけないのでしょうか。やっぱりたった一人の大事な家族ですから、簡単には全てを切り替えることは出来ません。

医師の見立てをいい意味で裏切った人はたくさんいるでしょうし、神様もきまぐれです(多分)。母の状況が好転する可能性も0ではないはずです。奇跡でもなんでもいい、母をどうか長生きさせてください。

 

 

4、やっぱり長生きして欲しい

私は出来ることなら母に苦しい思いはして欲しくありません。でも生きることを諦めないで欲しいです。

やっぱり「緩和=終末期」というイメージは強いです。でも心が諦めたら、体は一直線に死に向かってしまうような気がして怖いです。「母さん、どうか生きたいと思ってくれ!」

 

でも治療をしていない以上、いつ状況が変化するかわかりません。肺や転移部分も心配ですが、脳腫瘍が再発しないかも心配です。よく聞くような「完治の後の再発を恐れるという次元ではなく、今あるものが悪くならないかと心配」するのは、本当に苦しいです。マジでキツイ。

 

今私から見ると母は元気に見えます。「あまり先のことを考えても仕方がない、なるようにしかならない」と言い、毎日を生きているように見えます。私の見える範囲では泣いたり、取り乱したりせず、笑顔で生活しています。

「なんて母さんなんだ。自分なら耐えられない。きっと毎日絶望し、何もやる気が起きず、モノに当たったり他の人を恨んだりするだろう」と思います。

母は昔から人に相談するという事をほとんどしない人間です。私なんか多くの人に相談しても苦しくて仕方なく、胃腸が痛くなるというのに…

「何故なんだ。こんなに素晴らしい人をがんなんかにしないでくれ。もっと長生きさせてください」と思います。

 

 

5、それでも人に救われる

でも苦しい中でも良き出会いもあったような気がします。上述したSWさんに関しては医師とは違い、こちらの戸惑いや苦しみを無視せず、同じ歩幅で対話に臨んでくれたような気がします。

他にも母の治療がストップとなってから(遅いよ!)、真摯に対応してくれる看護師さんとの出会いもありました。辛い副作用に関して主治医や薬剤師は「副作用=薬の処方」という処置ですが、この方たちはまずは「受容」、そして「共感」してくれるのです。私はこの共感にこそ救われる思いです。もっと早くこの人達と出会いたかったです。そうすれば私も母もどれだけ心強かったことか。

人はいる。間違いなく。ただ出会えていないだけです。でもその出会えていないということが苦しみなのです。私達は心と傷を癒して欲しいと願います。

 

それと気になることが一つ。SWさんが「キャンサーギフト」って言葉を使ったんですよ。それは母がSWさんに、「家族が色々サポートしてくれて本当に心強いんです」と言った時のことです。

どうやら「キャンサー=がん」によって得られた・気付いたものということでしょうが、私はそれを聞いて正直複雑な気分でした。

「何か良い話になっているけど、俺はギフトなんかいらないから、がんを治してほしい」と思いました。確かに苦悩の中にも発見や意味を見出すことはあります。でも出来ることならそれよりも、苦悩の元自体を取り除いて欲しいと思いました。

まぁ気付きによって母に少しでも力や気力が出るなら、悪い話じゃないんですけどね。

 

 

6、やはり母は大切な存在

確かに母が病気になって気付いたことはたくさんありますが、なんだかんだ言っても結局は「キツイ」んです。そして今後もメンタルが崩れるような出来事が何度も起こるんだろうなと思うと怖いです。やっぱり奇跡が起きて欲しいです。

そしてそのような精神的に苦しい時に現実的な話をするのは酷く疲れます。今後のことをSWさんと話す際、こちらはなんとか冷静に事務的な話に臨んでいますが、これって結構キツイんですよね。

 

結局、私が病院や担当医師に望むことは一つです。

どうか母を大切に扱って欲しい。決して蔑ろにしないで欲しい。色々と負担をかけるかもしれませんが、どうか母の尊厳を大切にして欲しいと心から願います。