家族ががんになっても希望は消えない。

母が肺がんステージ4になってからの記録です。希望は常にあると信じて日々を過ごしています。

ガンマナイフ治療について

皆さんこんにちは。もち丸です。

前回は母にがんが見つかり、「頭部」と「頭部以外」をそれぞれ別の病院で診てもらうことになったというところまで述べました。

今回は頭部、脳腫瘍についての病院での診察、及びその後の治療までをまとめていきます。

少し長文になりますが、どうぞご覧くださいませ。

 

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1、初診日まで

病気発覚時における「かかりつけ医→大病院の脳神経外科」までの経過は前回の記事で述べました。

私達家族は大病院で告知を受けた後、その場ですぐにガンマナイフ治療が受けられる病院に電話しました。この病院(以下A病院)が姉の頭にあったのは本当に偶然です。

 

幸い同じ県内で車で何とか通える距離。初診日は3、4日後とかなり早く入れてもらえました。

予約後は紹介状と画像データを受け取り帰宅しましたが、帰宅後から初診日までの記憶はあまりありません。私達は初診日までは何もする気が起きず、とにかくその日を待ちました。

 

 

2、初診日当日

初診日私達はA病院まで家族全員で行き、自分達の順番を待ちました。

そしていよいよ診察前の、母の頭部MRI検査が始まりました。その後しばらくして母以外の家族が先生に呼ばれました。

もうこの時点で嫌な予感しかしません。

 

初めての先生との対面、もう怖い、しんどい。不快な感情しか湧いてきません。

そして先生から言葉が告げられます。

 

内容は大きく分けて以下の三つです。

①脳腫瘍の転移はとても多いが、一個一個の大きさはそれほどでもない

②現在の認知症状は、脳腫瘍が出来たことによって起きる脳浮腫(むくみ)から来ている

③手術は難しい

 

脳腫瘍は出来た部位に応じて様々な症状を引き起こします。ただそれ以前に脳腫瘍が出来たことで脳全体がむくみ、頭痛や意識障害、食欲低下等が引き起こされるそうです

そして脳腫瘍は他臓器からの転移であることが多く、恐らくは肺であるが早めに原発巣を特定した方がいいと言われました。

そしてこのままでは年内が危ないことも…

 

もう絶望でした。やはり手術は出来ないのか。このまま変わってしまった母のまま、以前の母には戻らないのかと苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。

 

ですが先生からわずかな希望の言葉も聞きました。

「確かに数は多いけど脳幹等の今すぐ命にかかわる部分に腫瘍は無い」こと。そして「手術は難しいけど、ガンマナイフ治療なら可能性がある」と。

 

 

3、入院治療開始まで

先生によると脳腫瘍の数はかなり多いものの、一個当たりの大きさはそれほど大きくなく、一番大きい腫瘍もガンマナイフでカバーできるサイズだと言うのです。

逆にこれ以上大きくなっていたら、ガンマナイフでも難しい状況だったらしく、正にギリギリ間に合ったということでした。

 

でも私は先生の話を聞いても、安心はあまり出来ませんでした。

何かを期待して、それが崩れることが怖かったのです。

 

それでも一つ目標が出来、具体的な治療が出来る。私達に選択肢はありませんでした。

その後別室で母と合流し、ガンマナイフ治療を受ける手続きに入ります。

母は状況が理解出来ていないようでしたが、私達家族はもうその治療にかけるしかありませんでした。

 

さて治療は入院しての2泊3日で行うのですが、その前に大事なことがあります。

今母は脳腫瘍によって脳全体がむくんでいる状態ですが、ステロイド服用によってむくみをとり、正確なガンマナイフ治療を行なえる状態にするのです。

先生曰く「薬を飲むと意識も食欲も少しずつ戻っていきますよ」とのことで、この言葉には救われる思いでした。

 

そして初診日から入院までの約1週間、薬を服用した効果がハッキリと出てきました。

症状が全て無くなくなったわけではありませんが、徐々に食欲が出てきて、頭の回転も戻ってきたのです。そして感情の起伏も少し回復し、会話によるコミュニケーションもある程度取れるまでになりました。

 

もう私はそれだけでも嬉しくて嬉しくて...

もうこのまま以前の母に戻らないまま、最悪の事態を迎えるかもしれないと考えていたので、先生が神様に思え、これから始まる治療にも期待を持ちました。

 

 

4、いよいよ治療開始

薬服用により脳のむくみが取れたことで準備が整い、いよいよ治療が始まります。

治療は2泊3日の入院で、2日目にガンマナイフ治療を行います。

 

私達家族は3日とも付き添いましたが、2日目は色々と大変でした。

当然のことながらガンマナイフ治療は、正確な位置に正確な量をピンポイントで狙う必要があります。わずかな誤差も許されません。

その為治療中に頭部が少しも動かないよう、2日目は朝から金属フレームを頭部につけ、それをネジで固定するのです。(結構痛そうでした)

そしてその状態で治療までの約半日を過ごす為、転倒防止の為、移動は常に車イスです。また1日目から常に点滴のチューブを着けたままになることと併せて、ちょっとした行動も大変でした。

 

幸い担当看護師さんを始め、病院スタッフさんにはとても親切にしていただきました。

私自身は元々心配性で、疑問点は全て確認せずにはいられない性格なのですが、看護師さんも医師も私の質問に丁寧に答えてくれました。

 

とは言え治療に関しては不安だらけです。開頭出術ではないとは言え、リスクのない治療はありません。思いがけない後遺症が出る可能性もありますし、治療効果が期待通りに得られない可能性だってあります。

何より手術が出来ない中で、この治療が上手くいかなかったらと考えると怖くて仕方ありませんが、私達にはこの選択肢しかない。もう祈ることしか出来ません。

 

さていよいよ母の番になりました。治療時間に関してはなにぶん数が多いので、通常よりも時間がかかるとのこと。私達には待つことしか出来ません。

 

治療開始前に改めて医師から説明があり、母の治療中は病室で待つこととなりました。その間スマホゲームをしたり、本を読んだりしましたが全く頭に入りません。

そして何時間か後、車イスに乗った母と看護師さんが病室に戻ってきました。

 

 

5、治療終了後のかすかな変化の兆し

私は医療の専門家ではない為、ガンマナイフ治療に対する見解に関して、間違っている部分が多々あるかもしれません。その点はどうかご了承ください。

 

ガンマナイフ治療というのは放射線治療の一種で、その場で腫瘍を取り除く類の治療ではありません。そしてその効果は即効性があるというよりも、数か月、年単位で照射した部分の腫瘍に効いていくというイメージだそうです。そのせいか治療を終えた母の様子は、治療前の母と大きく変わった印象はありませんでした。

ただ担当医師によると、現在確認出来る部分には全て対処することが出来たとのことでした。そして次の診察は一か月後、その間に頭部以外の部分を、他の病院で診てもらってくださいとのことでした。

 

正直「えっ、もう終わり?次に診てもらうのは1か月後でいいの?」って感じです。

とはいえ丁寧に対応してくれた医師の言葉でしたし、「その間しっかりと薬を飲んでいけば、恐らく元気になっていくと思いますよ」との嬉しい言葉をもらいました。

とは言え病気全体については「原発巣はどうなっているのか」、「転移の有無」等、問題は山積みです。

それでも「このまま終わってしまうのか、元の母に戻らない状態で最後になってしまうのか」という絶望を感じた私達にとっては、先生の言葉は唯一の希望でした。

 

2日目治療を終えた後は母も疲れているだろうし、私達も疲れていた為、早めに帰ろうと病室を後にしようとしました。

その時「これは治療の効果か?」という、思いがけないことがありました。

母に帰るねと言って病室から出て行こうとした時、結構強い力で母に袖を引っ張られたのです。治療前母は全体的に動きが散漫になっており、強い意志ある行動というのが見られない状態だったのです。その為私は驚いて振り向くと、母が力強い目をして私の袖を引っ張っているのです。

 

「凄い、こんな目久しぶりに見た。加減が出来てないみたいだけど母だ!」と思いました。私は泣きそうになり、明日迎えにくるからねと言って、帰路につきました。

 

 

6、退院

そして翌日の退院日。母はまだ感情が乏しい様子ですが、退院の際、看護師さんにお礼をしていました。この病院を初めて受診した時の母とはまるで別人です。

やはり辛く苦しい時には、小さな希望にも救われる思いがしますね。

 

そして退院前の先生との面談。「これから少しずつ元の元気な状態に戻っていくと思います。原発巣の状態によっては再発もあると思いますが、定期的に見ていれば大事になる前に対処出来るので、安心してください」と言われました。

この時先生が神様に見えましたよ。私達は「まずは一つクリアした」という思いでした。

 

結果論になるのですが、後のがん治療が始まる前に頭部を治療出来たことは、これからの治療にとって良いスタートとなりました。

もし順番が逆で頭部が後になっていたら、ガンマナイフでも対応出来なかった可能性が高かったからです。その意味でも最初の病院での診察後、すぐにこちらの病院にアプローチ出来たことは本当に良かったです。

 

 

7、退院後の経過

退院後しばらくは家事等は母以外で分担し、母にはゆっくりとしてもらいました。

そうして1週間、2週間と時間が経つにつれ、母の調子が明らかに良くなっていきました。

少しずつ笑顔が出始め、家事にも徐々に参加するようになり、治療前には興味を失っていた趣味にも興味が戻ったようです。

私達はそれが本当に嬉しかったです。

 

その後は日数が経過するにつれ、どんどん昔の母に戻っていく印象でした。後遺症として頭痛と脱毛が2、3週間程ありましたが、それも徐々に治まり、退院後1ケ月後位には、以前と変わらない母になっていました。

このガンマナイフ治療に関わってくれた関係者の皆様には、感謝しかありません。

この先どうなるかはわかりませんが、母と日々を普通に過ごせる幸せは、一生忘れられないと思います。

 

 

8、最後に

今回は母のがん治療の第一歩目、ガンマナイフ治療について書きました。次回以降は本治療である原発巣を含むがん全体の治療経過を、書いていきたいと思います。

 

脳腫瘍についてはその後2回再発がありましたが、いずれもガンマナイフ治療で対処出来ています。それらの経過は別記事で書くつもりです。

基本的に脳は様々な脅威から自らを守る為、良くも悪くも防御フィルター機構があるそうです。その為抗がん剤の効果が届きにくいそうです。

 

またガンマナイフは同じ部位に、何度も同じ強さで照射することは難しいそうです。

そしてガンマナイフは年単位で効き続ける為、一度照射した部位にもう一度腫瘍が出来るということは、原発巣のがんの勢いが強いという事を示すとともに、再度のガンマナイフ治療の難易度も上がります。

母も以前照射した部位に再発したことがあり、やはり原発巣が根治出来ていない以上、転移や再発の心配は常にあるということで、結構きついです。

 

とは言え現時点で1年半程脳腫瘍の再発はありませんし、このままコントロール出来ればいいなと心から思っています。

 

私達はガンマナイフ治療という存在を知っていたからこそ、今回の結果に繋げることが出来ました。

とは言えある意味医療の素人である私達は、限られた時間と選択肢の中で、常に最善の選択をし続けることは、はっきり言って不可能だと思います。

そして一つ情報を知っているか知らないかで、人生は全く違う結果になり得るということを怖く思います。同時に知っている事で新たな可能性が生まれることはありがたいことでもありますね。

 

今回の記事は以上になります。

早くこれまでの経過を一通りまとめて、今の不安や愚痴をたくさん書きたいと思っています。(笑)